議論には、2種類ある。混同すると火傷する


「和を以て貴し」を是とする日本人にとって、議論は苦手です。

しかし一方で、ビジネスの世界では議論の重要性が高まっています。

そこで企業でも、議論の技法を身につけるべくディベートに取り組むケースも増えています。

 

 

たしかにディベートは、ロジックを学ぶ上で有益な方法です。

しかし実際には、議論はディベートだけではありません。

 

週刊東洋経済2015年1月17日号の記事「知の技法 出世の作法 信頼できる評論家が池上彰である理由 弁証法的な思考に長け 対話で真理を見いだす」で、佐藤優さんがこの日本人が苦手だと言われている議論の方法論として、2種類上げられておられます。

参考になるので、紹介します。

 

一つはディベート。企業ではディベート研修なども注目されていますが、本来ディベートとは「言葉の決闘」であり、二者のどちらの論者が優勢であるかを、ルールに基づいて判断するものです。

佐藤さんは「そこには、開かれた心で新たな真理を見いだしていこうという気構えはない」と書いておられます。

社内の議論を活性化しようとしてディベートのスキル向上を図るケースがよくあります。論理的思考と多角的なモノの見方を身につける上で、確かにディベートは有効です。またなかなか議論しようとしない組織では、ディベートはショック療法として有効かもしれません。

しかし日々の業務でディベートが過度に使われるようになると、ともすると単に議論の勝ち負けだけに終始するようになり新たな価値創造ができず、逆効果になる可能性もあります。

 

もう一つが、弁証法的対話。佐藤優さんが「池上彰さんが身につけている」としている手法がこちら。対話を通じて真理を見いだす方法です。具体的には、

・Aという意見を偏見なく聞き届ける。

・そしてその矛盾点や疑問点などを検証し、相手に質問し、回答を得る。

・そのようにして正しい真理に迫っていく。

という議論の手法です。

 

一昨年まで外資系企業に30年間勤務していて、海外の人たちから、日本人に対して感じている不満の一つとしてよく聞いていたのが、日本人が「弁証法的対話」が行えないことです。

「ダメなものはダメ」「日本は違う」「わけがわかっていない外人に対して、意見を通してやる」という考えを持って議論に臨むのは、どちらかというとディベート的手法。かつて日本人が海外の人との議論に臨む際には、「いざ、外人と一騎打ち」というこのパターンが少なくなかったように思います。

一方で、「こう考えてはみたものの、他にもっとよい解決策があるかもしれない。一緒に考えよう」という態度で議論し、よりよい解決策を探っていくのが、弁証法的対話です。

 

私の実感では、弁証法的な議論ができる人は意外と少ないように感じています。(また公平性を期して補足すると、海外の人たちの中にも、弁証法対話ができない人もいます)

 

典型的なのが、国会の答弁。弁証法的議論はほとんどありません。ディベート的手法の「言葉の決闘」で相手を打ち負かそうとしたり、あるいは揚げ足取りをしているのを、国民は望んでいない筈です。

国民の税金を使って国会議員同士が議論しているのですから、弁証法的手法で党派を乗り越えて、相手の良い点は取り込み、疑問点は正し、よりよい解決策を見いだしていく。

こんな姿勢を見せるような党は、より国民の支持も得られるのではないでしょうか?

 

そして、私たちの日々のビジネスでも、弁証法的対話は大切になってきていると思います。

議論のバリエーションとして、ディベートだけではなく弁証法的対話も身につけると、思考が半歩深まっていきます。