経験から得られる暗黙知が大事な理由


書物やネットから得る知識と、経験で得る知識。

前者の「書物やネットから得る知識」は、幅広く色々なものを手っ取り早く仕入れることができます。このような知識は「形式知」と呼ばれます。

私もついスマホばかり見てしまうことも多いのですが、ネット上には色々な面白い情報がころがっています。ともすると、一日中スマホなどを長めながら、そのような情報を見て学んだつもりになってしまうことも、なきにしもあらずです。

Couple not talking to each other typing on mobile phones

後者の経験で得る知識は、そうはいきません。限られた時間でありとあらゆるものを経験できることはできませんので、得られる知識は限定的です。

しかし決定的に異なる点があります。経験で得られる知識は、言葉にできないことが得られるのです。このような知識は「暗黙知」と呼ばれます。

 

たとえば組織のリーダーとしての役割を担う場合。

人間の集団である組織は、生き物です。ともすると参加メンバーのエゴがぶつかり合ったり、メンバーのメンタル面のきめ細かいフォローをしたり、あるいは志をともにして素晴らしい何かを目指したりと、リーダーの立場でなければ得られない経験と学びがあります。楽しいことばかりではなく、苦しいことも多いのです。

このような学びは時間はかかります。しかしネットや書物に書かれているリーダーシップ論を学ぶよりも、はるかに大きなことを学ぶことができます。

 

では、この「経験で得られる知識」を得るためには、どうすればよいのでしょうか?
答えは字の通り、「経験を重ねること」。
つまり、「実際に行動すること」、言い換えれば「行ずること」に尽きると思います。

 

ネット社会になり、一見面白おかしい形式知が氾濫する現代だからこそ、実際に行動することと、その経験から生まれる「暗黙知」がますます大切になってきています。

 

では形式知を軽視していいかというと、これはまた行きすぎです。
自宅にいながら、ネットで大量の形式知が得られる時代は、かつてありませんでした。この利便性は享受すべきでしょう。

 

形式知が大量に得られる時代ですが、形式知だけは不十分。
暗黙知は経験から得られますが、経験論だけでも不十分。

結局、両者のバランスが必要であることを認識することが必要なのだと思います。