責任感と法令遵守精神が強すぎるから、日本企業は斬新なビジネスを立ち上げられない、という意見


businessman looking through keyhole

海外のベンチャー企業は様々な革新的なビジネスを立ち上げる一方で、日本からはなかなか斬新なアイデアが出てこない、と言われています。

 

たとえば、ハイヤーの配車サービスを提供するUberというサービスがあります。スマホで配車依頼をすると、個人でサービスを提供しているドライバーと引き合わせ、決裁も安全に行えます。

欧米ではUberのように斬新なサービスに挑戦する会社は少なくありませんが、日本では「そうはいっても、タクシーやハイヤーのサービスがあるし、法律的に色々と面倒なので、やめておこう」と思いがちです。

日本でこのような発想が出ない一つの要因として、「リスクにチャレンジしないから」という意見があります。

しかしそのような性格的な面だけでは、今ひとつ腹オチしませんよね。

 

先日読了した、「競争戦略としてのグローバルルール」(藤井敏彦著、東洋経済新報社)で、そのことがわかりやすく書かれていました。著者の藤井さんは、経済産業省の現役政府交渉官として世界的なルール策定に数多く関わってきた方です。

本書で「なるほど」と思ったのは、日本人は「法は守るもの」と考える傾向が極めて強いのに対して、欧州では「法は目標」と考える、という点。だから海外企業は「法はいくらでも変えられる」と考えて自由な発想でイノベーションを生み出しているのです。

 

たとえば本書では、著者と欧州議会議員が、実現が困難な環境規制について議論したエピソードが書かれています。

著者「…実際に遵守できないことがわかりながら規制するのは適切なこととは思えません」
議員「法は目標なのです。法のめざす方向に社会が動いていけばそれでよいのです」

 

また、非現実的な規制が設定されたエピソードが紹介されています。日本企業であれば「この規制は達成不可能だ。ヨーロッパ市場から撤退をするしかない」と悩むところですが、著者が欧米企業とどのように対処するか議論したところ、最終的な結論は「放っておこう。どうせ誰もこの義務は果たせない」。

本書では、このように書かれています。

—(以下、p.107より引用)—

国際ルールづくりの現場には日本人であればとうていできないような考え方が渦巻いているのだ。日本的に言えば単なる無責任であり、彼らに言わせれば未来志向である。

—(以上、引用)—

また元サッカー日本代表チームのオシム監督が、日本選手がゴールを積極的にねらえない理由として「責任感が強すぎるから」と述べたエピソードも紹介されています。裏を返せば「失敗を叱責しすぎる」ということです。

法令違反をした場合、日本だと「誰がやったのか?」という責任追及になりがちですが、欧米企業では「罰金はいくらだ?」になります。法令遵守のコストより安ければ罰金を払って済ませます。もちろんこの背景には、社会的バッシングが日本よりも少ないこともあります。

 

本書を読んで、過度な責任感の強さや法令遵守精神が日本企業の停滞を生み出しているとすれば、企業側が積極的に働きかけてその責任を企業側で負い、もっと社員に失敗前提でチャレンジすることを奨励すべきなのではないか、と改めて思いました。

また、規制緩和が成長戦略のために政府ができる最大の貢献であることも実感しました。

現状打破の意外なポイントは、まだまだありそうです。