大震災で壊滅した気仙沼で、観光ビジネスが大きく復活した理由は、「み・か・た」だった


2011年3月11日夜。
気仙沼。

大地震で破壊された石油タンクから流出した油で、街中が大規模な火災に見舞われた衝撃的な映像が、テレビでも放映されました。

「この大火災の中に、どれだけの人が取り残されているのだろうか?」

私はネット経由のテレビで壊滅しつつある気仙沼を、何ひとつできない自分の無力さを感じながら、ただ見守るだけでした。

あれから4年。実は気仙沼で、観光ビジネスが大きく復活していることを、ご存じでしょうか?

 

先週2015年7月27日(月)の夜、原宿で行われたTourism Design Drinks Vol.2で、気仙沼プラザホテル・支配人の堺丈明さんのお話しをお伺いする機会をいただきました。

ちなみに会場はこんな感じ。

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下の写真で、右側の方が気仙沼プラザホテル・支配人の堺さん。真ん中がこの会を主催したグラグリッド代表の尾形さん。左が話の内容を絵でまとめられたグラグリッドの三澤さんです。

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講演の前に、私は何の前提知識も持たずに、堺さんとお名刺交換しました。大震災当日に大火災に見舞われた気仙沼のイメージを持っていたので、「大変だったのではないですか?」と堺さんに伺ったところ、ごく普通のさりげない様子で「いやぁ、大変でした」。

 

堺さんのお話しが始まりました。

まずは開口一番。「気仙沼のカツオを持ってきましたので、皆さん召し上がって下さい」

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これがまた美味でした。

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気仙沼で育った堺さんですが、ホテルに勤めながらも、実はあまり気仙沼が好きではなかったそうです。

「何もないし。魚臭いし」

そして気仙沼プラザホテルの支配人になってから間もなく、3.11の大震災が起こりました。

 

震災当日、堺さんは仕事がたまたま休みで、大島にある自宅にいました。ホテルから船で30分ほどの場所です。ご両親とお子様は無事でしたが、その日に気仙沼に仕事に行っていた奥様とは、震災直後に携帯で連絡が取れた後、連絡が取れませんでした。しかし堺さんも身動きが取れません。

震災1週間後、やっと気仙沼に行くことができました。そして船が到着した波止場に、なんと奥様がいました。

「生きていてくれてありがとう」という言葉しか出なかったそうです。

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気仙沼はまさしく壊滅状態。ホテルを再開したのはライフラインが通った翌日の5月1日。

しかし観光客が来るはずもなく、工事関係者やボランティアの方々の宿としての再出発です。

モチベーションが上がらないまま、ただ工事関係者に宿泊場所を提供するという仕事の日々が続きます。

そんな状況で半年が過ぎたある日、堺さんは、カンカンになったある宿泊客から叱責されます。

「なんだこの宿は?『いらっしゃいませ』もないし、布団も敷いていない。食事もセルフサービス。震災の上にあぐらをかいているだけじゃないか!」

この方は、被災されたご親戚の誕生祝いのために来られた、一般の旅行客でした。

その時、堺さんの口から自然に出た言葉は、「申し訳ありません」ではなく、「ありがとうございます」。

これを期に、堺さんの考え方が一気に変わりました。

 

震災前までは、堺さんは営業に出ると「ウチのホテルに来て下さい」と、気仙沼のことは何も言わずにホテルの宣伝ばかりしていました。

震災後は、ホテルを売る前に、まず気仙沼のことを売り込むようになりました。

 

同じようなことが、気仙沼のいろいろなところで起こり始め、気仙沼の事業者同士が協業するようになりました。

 

たとえば、気仙沼観光タクシーは、「タクシーは観光産業である」と考えて、気仙沼の観光に取り組んでおられます。
タクシーで気仙沼をまわりながら、タクシー運転手の皆さんも「震災の語り部」としてスキルを高めています。

また、新たに防潮堤を建設するために、海が見えにくくなりました。そこで「街や丘に魚を走らせて、海を感じられるようにしよう」と「おさかなタクシー」も始めました。

デザインも子供たちに公募しています。この写真は、気仙沼観光タクシー様のFacebookページから転載しました。

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また、日本酒の海中貯蔵も気仙沼で始まりました。海中貯蔵すると、瓶が波で四六時中かき回され、とても美味しい日本酒になるそうです。しかし通常の発想では、漁業と日本酒の協業連携はありえません。これも「気仙沼で何かできないか?」と事業者同士で新たに知恵を出し合った結果です。

 

また、映画監督の堤幸彦さんも、気仙沼を舞台にドキュメンタリードラマをシリーズで制作されています。日本で一番忙しいと言われる映画監督ですが、気仙沼では泥すくいなどのボランティアもなさっています。

 

さらに俳優の渡辺謙さん。最初はNHKの取材で何回か気仙沼に来られました。そのうちに渡辺謙さんは「自分でできることはないか?」と考え、気仙沼の人たちに聞いたところ「人との出会いの場所がない」。

そこで渡辺謙さんは、気仙沼にカフェK-portを作りました。ご自身が大病で、「生きる、死ぬ」の壮絶な体験をなさった渡辺謙さんならではの男気を感じるお話しです。

これが店内。真ん中にいるのが渡辺謙さん。スクリーンでは凄まじいオーラを発する渡辺謙さんも、お店では普通の人だそうです。

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ちなみに、この日の堺さんは二日酔いでした。なんと昨晩、K-portで渡辺謙さんと飲み明かしていたとのお話しでした。

 

このように気仙沼が大きく変わったきっかけは、やはり震災でした。

堺さんは、「いろいろな人に助けられて、感謝の気持ちが生まれ、本気で付き合うようになった。そして集まる場所ができた」とおっしゃっています。

人々と繋げて新たなものを生み出すために、堺さんは色々なところに行きます。そこで大切なのがSNS、特にFacebookです。情報発信をすることで、お互いに何を考えているかがわかるようになります。

たとえば、気仙沼プラザホテルで商品券を発行した時は、お店を一軒一軒回りました。この際にも、Facebookで情報発信をしていたことで、相手も事前にわかっていたそうです。

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堺さんの講演の後、堺さんが「師匠」と呼ぶJTBの山下さんが話されました。

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山下さんは、JTBで観光立国推進の戦略を担当しておられます。実は私も、山下さんのご紹介でこの会に参加しました。

 

山下さんは、「気仙沼の文化は、『おかえりなさい』文化」とおっしゃいます。

三陸沖での沖合漁業や、世界の海を対象にした遠洋漁業の基地として、全国から優秀な漁師を集めてきた気仙沼は、外の人をまったく気にせず受け入れる文化があります。気仙沼の人たちは、外の人とのネットワーキング作りが上手なのです。

さらに大震災で、地域が壊滅してしまいました。多くの地域は、様々な利害関係を抱えていて、なかなかスムーズに新しいことができません。しかし壊滅してしまった気仙沼では、協力するしかありませんでした。必死に自分たちの強みを考え、すぐに実行しているのです。

たとえば、先にご紹介した日本酒の海中貯蔵はその典型です。漁業と日本酒の協業連携は、通常はあり得ません。この気仙沼だから、生まれたのです。

ちなみにこの写真で、漁船に乗って突きん棒と言うメカジキを獲るための漁の道具を持っている竿を持って海中貯蔵している日本酒をチェックしているのがJTBの山下さん。後ろにいるのがグラグリッド代表の尾形さん。撮影は気仙沼プラザホテルの堺さん。皆さん、楽しそうです。 (赤字: 2015/8/7修正しました)

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「世界遺産にならなくても、観光振興はできる」と山下さんはおっしゃいます。そして、利害関係に始まる様々な壁を乗り越えるのは、堺さんのような若い世代。今回の震災で、気仙沼にも堺さんたちのような人たちが出てきたのです。

山下さんの懸念は、今、徐々に平時の意識になりつつあること。数十年後も継続し続けられるように、常に新しいことにチャレンジし続けるような仕組み作りを考え始めていく時期になっています。

 

最後にグラグリッドの三澤さんが、とてもわかりやすく議論をまとめてくださいました。

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この会のテーマでもある「ツーリズムデザイン」という新しい考え方に取り組まれている皆様の熱いパッションを感じた2時間の会でした。

 

私自身も勉強になりました。

先日の阿智村の取り組みをご紹介したブログで、「み・か・た」(「みんなで、かんがえ、たしかめよう」)が大切だと書きました。

しかし改めて気仙沼のお話しを伺って、むしろ「みんなで、かんがえ、たのしもうなのではないか、と思えてきました。

「み」。気仙沼は、事業者同士で繋がり、外の人も柔軟に受け入れて、衆知を結集している
「か」。気仙沼は、漁師の町という強みを考え抜き、その強みを活かしながらいかにお客様に価値を提供するかを考えている
「た」。考えるだけではなく、楽しみながら実行し、試行錯誤を繰り返している
・そして「みかた」をどんどん拡げて、気仙沼全体が活性化している

「み・か・た」は地域活性化のためのキーワードになるのではないかと、改めて実感しました。

 

そしてそれは、観光業に留まらず、様々な業界でも共通する重要な考え方だと思います。

多くの企業で変革の必要性が叫ばれながらも、既存の利害関係が乗り越えられずに、なかなか進みません。それは地域活性化は遅々として進まない地域も同じです。

一方で、危機に陥った企業が、それをバネにして社員が一致団結し、大きく復活することもあります。気仙沼の取り組みを見ていると、まさに同じ印象を受けました。

 

この会を企画・運営された皆様には、厚く感謝申し上げます。

最後に皆さんで集合写真です。まさに「みんなで、かんがえ、たのしもう」と盛り上がっています。

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私も、「いつか近いうちに、気仙沼に行ってみよう」と思いました。