「失敗」の定義を変えよう


こんなお悩みをよく聞きます。

「ウチは失敗が許されない。失敗して×がつくと昇進できない」
「失敗できないから、少しでもリスクがあると見送ることが多い」

新しい挑戦には失敗はつきものです。
だから失敗を避けていると、新しいことはできません。
低迷する組織は、失敗をおそれ、新しいことに挑戦せず、衰退し続ける傾向があります。

「失敗」の定義を変えることが必要です。

ルース・ベネディクトは著書「菊と刀」で、「罪の文化と恥の文化」について述べています。
欧米の「罪の文化」では、過ちは告白や懺悔をすることで軽くなります。
一方で日本の「恥の文化」では、過ちは公になることでさらに重くなってしまいます。
「失敗=過ち」と考えるから、日本人は新しいことに挑戦できないのかもしれません。
そして、失敗も共有されません。

「失敗=過ち=恥」という定義を変え、「失敗=学びという共有財産」と考えるべきです。

たとえばマツダの工場では、「失敗大賞」で新しいことに取り組んだ挑戦精神を表彰しています。

発明王エジソンも、「私は失敗したことがない。うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ」と言いました。

一代で日本電産を売上1兆円企業に育てた永守重信会長も、「うちは徹底的な加点主義だ。社員が失敗しても減点しない。能力不足でもクビにしない。しかしどんなに能力が高くても、チャレンジしない社員には厳しい」と述べています。

世の中が激変し未来が見通せない現代では、新しいことに挑戦し、自分たちで未来を創り上げていくことが必要です。
そのために必要なのは、失敗を評価し組織で共有する組織にすること。失敗を認めない組織は淘汰されていきます。

「新しいことをしたい」という個人の想いを尊重し、失敗を認める組織への変革を加速化することが必要なのです。

 

 

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