価値の本質を理解していた信長、理解できなかった秀吉


信長が座敷でくつろいでいると、森蘭丸が入ってきた。

「信長様…」
「なんじゃ、蘭丸。申してみい」
「もはや報償で与える領地がほとんどございませぬ」
「そんなことか。ちゃんと考えておるわ。これじゃ」

信長は傍らにあった小さな茶入れを持つと、手にかざして蘭丸に見せた。

「茶器…でございますか?」
「これ一つで、一国分の価値がある」
「なんと、この小さな茶器で!」
「先日も甲斐を攻略した滝川一益に、関東管領の称号と上野一国をくれてやった。なのに一益め、この銘品を恨めしそうに眺めて『珠光小茄子の方がよかった…』とぬかしよったわ。ま。ちゃんと余の教育が効き始めている、ということだな」
「そう言えば、秀吉様も同じようなことをおっしゃってましたね」
「サルめも『信長様から茶道具をごほうびにいただいた。感激で涙が止まらない』とわざわざ書面にしたためて、寄越してきおった」
「すべては目論見とおり、ということでございますか」
「これも堺の商人とつきあい始めた時に、茶の湯が流行っていることを知ったおかげじゃ。『茶の湯は使えるな。そうだ。茶器を恩賞にしよう』と考えた」
「それで千宗易様もおとり立てを?」
「宗易に茶の湯の儀礼を定めさせた上で、『武将ならば、茶道くらいは常識ぞ』と、名物茶器を使った茶会に余の家臣を招き、しっかり教育してやったわ。余の許可がないと、家臣連中は茶会をひらけないようにしてプレミアム感もしっかり高めてやった。 おかげで家臣や豪商達も、余の歓心を買うためにこぞって茶器をプレゼントするようになった」

カラカラカラと高笑いした信長は、ニヤニヤしながら声をひそめた。

「実はな。ここだけの話だが、名物茶器に明確な基準はない。皆が『いい』と思えば『いい』ということだ。そこで目利きに宗易を取り立てた。宗易が『銘品』と認めれば、あっという間にもの凄い値がつく。ま、宗易も堺の茶人たちも商売人だ。あやつらも権力者の余の威光を使えば何でもできる。茶会も主催して儲けているらしいな。おかげで余も武器をふんだんに調達できる。天下布武ももう目前だ」

信長は銘品『珠光小茄子』を目の高さにかざして眺めながら、ニヤリとした。

「しかしなぁ。南蛮の宣教師連中は『単なる粘土の固まりを貴重なダイヤモンドのように有り難がっているのは、なぜだ?』とまったく理解できないようだ。『お前たちも、もう少し『アート』というものを理解した方がいいぞ』と言ってやったが、まぁ、あやつらの気持ちもわからんではない。確かにこれは、粘土の固まりだ。ふっふっふ」

…その十数年後。
本能寺の変で信長は他界。秀吉が権力を握った。

残念ながら秀吉は、無残なほど価値の本質が理解できずに金の茶室などを作って、千利休は「なんと下品な…。信長様の時代が懐かしい」と眉をひそめたりしていた。

そんな秀吉に目を付けたのが、ルソン(フィルピン)と貿易をしていた商売人の呂宋助左衛門。様々な贈り物を秀吉に献上した。その中の一つに「ルソン壷」があった。

「秀吉様、献上品にございます」
「沢山あるな。ん?この壷はなんじゃ?」
「さすが秀吉様、お目が高い。ルソン壷と申しまして、かの国では高名な名品でございます」
「なるほど、これがあの有名なルソン壷か」
「はい。秀吉様もよくご存じの、そのルソン壷でございます」
「そうだ、大名に競売で売ったらどうだ?オレが主催してやる」

秀吉のお墨付きで、貴重な茶入れとして諸大名が先を争い買い求めた。
しかし限定50個。たちまち少なくなり、あわてて秀吉も3つ買った。

実はこのルソン壷、ルソンの現地ではゴミ入れや骨壷としても使われていたありふれた壷で、助左衛門が50個まとめ買いしたもの。真実を知った大名は激怒。ルソン壷のほとんどがたたき壊された。

秀吉の怒りを事前に察知した助左衛門は、余裕でルソンに高飛びして逃げたという。

【参考文献】
■「大系 日本の歴史 8 天下統一」(小学館)
■「日本歴史展望 第7巻 天下びと信長から秀吉へ」(桑田忠親責任編集、旺文社)
■「江戸300年 大商人の知恵」(童門冬二著、講談社+α新書)

 

■当コラムは、毎週メルマガでお届けしています。ご登録はこちらへ。

Twitterでも情報発信しています。