上高地の自然は、100年間かけて人が丁寧に育てたものだった


写真展「水の景色 – 時間のアート、上高地 」(富士フイルムフォトサロン/2015)より

長野県・上高地は、私が大好きな場所です。
上高地の豊かな自然に接すると、本当に心が洗われますね。

「やっぱり自然っていいなぁ」と思ってしまいます。

でも意外かも知れませんが、上高地の自然は100年間以上かけて多くの人が育てて来たものなのです。

江戸時代、上高地では松本藩による木の伐採事業が行われていました。現在の安曇村に住む人々が松本藩から割り当てられた量の木を伐採し、伐採した木は上高地を通る梓川の川の流れを使って松本まで運ばれました。

明治維新で上高地一帯の森林は、松本藩の藩有林から国有林になりました。でも伐採は続いていました。

明治の末になると自然保護の機運が高まり、1909年に高山植物が採取禁止され、1916年に学術参考保護林に指定されて、森林伐採が取りやめになりました。そして1914年からカラ松の植林が始まります。

いまの上高地ではカラ松が多く見られますが、あれは100年以上前から人が植林したものなのです。

一方で、上高地は観光地として人気が高まり始めました。
大正から昭和にかけて登山者が増え、1933年にバス運行が始まって上高地を訪れる人が増えていきました。1969年には安曇村に4つのダムができたのに伴って、上高地に入る国道158号が完成しました。

道路ができたことで1960年代からクルマで上高地に来る人が増え、上高地の道路はクルマで渋滞するようになります。路肩駐車も増えて植物が踏み荒らされるようになりました。そこで1975年から夏期の上高地へのマイカー乗り入れ規制が始まり、1996年には年間を通じて一般車の乗り入れが全面禁止になりました。

さらに観光客が増え始め、ゴミが目立ち始めました。そこで1963年、地元有志により上高地を美しくする会が結成。1970年からヘリコプターが山小屋のゴミを回収を始め、1974年からは、山小屋のゴミ預かり所へゴミを持ち寄る呼びかけが行われるようになり、現在は「自分のゴミは自分で持ち帰ろう」運動が定着しています。

【参考】上高地の人と歴史(上高地ビジターセンター)
https://www.kamikochi-vc.or.jp/learn/history/

上高地を訪れると「人の手が全く入っていない自然って、いいなぁ」と思ってします。しかし現実には、人間がいるだけで自然は甚大なダメージを受け続けているのです。だからこそ自然を維持するには、人間が努力し続けて自然を守ることが必要だということを、100年以上に渡る上高地の自然保護運動は教えてくれます。

そしてこの100年以上の上高地の挑戦は、SDGsやESGがビジネスで求められている背景も教えてくれるように思います。

ご参考までに。上高地で撮った写真作品で、2015年に東京ミッドタウンにある富士フイルムフォトサロンで写真の個展を行いました。
こちらで全作品がご覧になれます。よろしければ、気分転換にご覧下さい。


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