「猿真似」の怖さ


『「学ぶ」は「真似る」から」という言葉があります。

モノゴトを極める最初の一歩は、師匠を見つけてそのやり方を身につけること。

従って、「学ぶ」ための第一歩として、「師匠を真似る」ことから始める、というアプローチです。

 

この際に、非常に怖い言葉があります。

 

「猿真似」

 

例えば、森山大道さんという写真家がいます。

1972年に出した写真集「写真よさようなら」はハイコントラスト・素粒子・ゴミだらけ。作品によってはフィルムに傷が付いていました。

インターネット上でも作品を見ることができます。⇒こちら

私が初めて彼の作品を見た時は、「このような表現方法が許されるのか」と驚くとともに、作品の圧倒的な存在感に大きな衝撃を受けました。

このような、一見雑に撮影した写真は、パッションがあれば誰にも撮影できるように思えますし、事実1970年代から80年代にかけて技術を十分に身につけないまま「大道チック」な写真を撮るアマチュアカメラマンも多くいました。

しかし、森山大道さんと、その方法を模倣しただけの写真家には、大きな違いがありました。

インターネット上で公開されている写真集『にっぽん劇場写真帖』(1968年発刊)の冒頭で、森山氏は次のように述べています。

—(以下、引用)—

当時、(中略)僕はいつも得体の知れないイライラやモヤモヤを沢山抱え込んでいた。そうした、写真を撮ることから生じるストレスや、僕の日常生活そのもののなかにひそむ不安感の一切を、この本をつくるにさいして全てぶちこみたいという思いだったはずだ。写真にテーマなんていらない、写真なんて美しくなくてもいい、僕の眼に写り、身体が感応し、心に突き刺さってくるものはことごとく対象であり等質なのだ、という過剰な気負いの中で一気に編集した覚えがある。

—(以上、引用)—

また同じく、写真集『写真よさようなら』の冒頭では以下のように語っています。

—(以下、引用)—

この本を作ったころのぼくは、自分の写真もふくめて、全ての写真に対して懐疑的になっていた。ちょうど写真同人誌<PROV-OKE>が解散した直後のことで、ぼくは持っていき場のない気持ちをもてあましていたような気がする。写真の解体・写真の無化・などという言葉がしきりに脳のなかに去来し、写真を一度、果ての果てまで連れていってしまいたいという衝動にかられていた。つまり、従来の、美意識・意味といった、疑うことのない一定の世界観によって成立していた写真との訣別!というわけであった。現在(いま)、思い返してみると、当時のぼくが、矛盾や短絡だらけだったにせよ、いかに過剰であったことよと懐かしくなる。(後略)

—(以上、引用)—

森山さんのような激しい葛藤の末に生み出された作品と、単にそのスタイルだけを模倣した作品との間に大きな隔たりがあることは言うまでもありません。

実際、森山さんの葛藤のプロセスを理解せずに「大道チック」な写真を撮る多くのアマチュア写真家が、「猿真似」の罠に陥ってしまいました。(しかも、その多くの人達は、自分が単なる「猿真似」であることに気が付きませんでした)

 

では、何が必要なのでしょうか?

恐らく、最初の「真似から学ぶ」段階で学ぶべきは、師匠のスタイルではなく、その背後にある思想まで踏み込んで理解・咀嚼することなのではないでしょうか?

そうして、その上で、自分なりのオリジナリティを見出していく。

さらに、師匠から離れて、自由自在に自分らしさが出せるようになる。

この段階で、師匠とは全く異なるスタイルになっていることもありえます。

「守・破・離」という言葉があります。

・ひたすら師匠の技を真似て、自分に取り込む段階:「守」
・師匠の技に自分なりの味を加えられる段階:   「破」
・さらに進んで自分流の技に発展できる段階:   「離」

猿真似は、最初の「守」の段階で師匠の思想の根元にあるものを理解しようとせず、スタイルだけを真似ることから起こります。

「守・破・離」いずれの段階においても、次のステップに進むのは非常に難しいものですが、一番最初のステップで「猿真似」の罠に陥らないように、自戒したいものです。