スティーブ・ジョブスは、ユーザーのことについて真剣に考えていました。彼ほど顧客中心主義を徹底した人は、少ないと思います。
しかし一方で、彼ほど顧客の言いなりにならなかった経営者もまた、いないのは、よく知られた通りです。
顧客中心主義と、「顧客の言いなり」。
一見似ている両者の考え方、どのように違うのでしょうか?
P.F.ドラッカーの著書「マネジメント」は、「もしドラ」ですっかり有名になりました。ドラッカーが本書を上梓したのは1973年。日本語版は1974年に出ました。
38年前も前の本なのですね。
ドラッカーはこの中で、企業の目的と顧客について以下のように書いています。
—(以下、引用)—
企業の目的は、顧客の創造である。したがって、企業は二つの、そして二つだけの基本的な機能を持つ。それがマーケティングとイノベーションである。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。(p.16)
顧客にとっての関心は、彼らにとっての価値、欲求、現実である。この事実からしても、「われわれの事業は何か」の問いに答えるには、顧客からスタートしなければならない。すなわち顧客の価値、欲求、期待、現実、状況、行動からスタートしなければならない。(p.22)
—(以上、引用)—
「企業の目的は、顧客の創造である」というドラッカーの有名な言葉は、この一節から取られています。
一方で、先日当ブログでご紹介したセオドア・レビットも、51年前の1960年、歴史的論文「マーケティング近視眼」で以下のように述べています。
—(以下、引用)—
(米国で)鉄道が衰退したのは、旅客や貨物輸送の需要が減ったためではない。それらの需要は依然として増え続けている。鉄道が危機に見舞われているのは、鉄道以外の手段(自動車、トラック、航空機、さらには電話)に顧客を奪われたからでもない。鉄道会社自体が、そうした需要を満たすことを放棄したからなのだ。鉄道会社は自社の事業を、輸送事業ではなく、鉄道事業と考えたために、顧客を他社へ追いやってしまったのである。事業の定義を誤った理由は、輸送を目的と考えず、鉄道を目的と考えたことにある。顧客中心ではなく、製品中心に考えてしまったのだ。(p.4)
—(以上、引用)—
二人とも、数十年前に「顧客中心主義」の重要性を説いており「顧客が企業の出発点である」とは言っています。
ただ、注意すべき点は、二人とも「顧客の言いなりになれ」とは言っていないことです。
「顧客の言いなり」と顧客中心主義は、似ているようで大きく違うということは、以前、ブログでご紹介しましたように、2011年8月12日の日本経済新聞で、コマツの坂根正弘会長がインタビューで語っておられます。
—(以下、引用)—
縮む国内市場にプレーヤーがいっぱいいて消耗戦をやっている。世界の製造業に欠かせない部品・素材企業が国内に多いことが震災で分かった。ただ過当競争だから、顧客に言われれば何でも引き受ける。私が社長なら断らせる。こうした体質がいろんな業界で低収益を生んでいる。
—(以上、引用)—
元々日本は、顧客中心主義が根付いていました。
しかし、いつの間にか、「顧客の言いなり」に陥っていて、低収益に陥り、結果的に顧客離れを引き起こしています。
そして「顧客の言いなり」に陥っていて、真の顧客の課題に応えられていない状況は、企業だけでなく、NPO、自治体、政府等、様々な分野に及びます。
私は、「顧客の言いなり」から顧客中心主義への回帰は、今の日本では大きな課題だと感じています。
現在出版を予定している本は、この「顧客の言いなり」から顧客中心主義への脱皮がテーマになります。
6月から仕込んで、8月から9月にかけて執筆し、ちょうど今、初校が終わったタイミングです。今年の11月末には書店でご覧になれると思います。
今年、3冊目の本になります。お楽しみに。