1960年、日本でコーヒー豆輸入が全面自由化になりました。多数の国内メーカーがインスタントコーヒー製造を開始しました。
そして1961年、インスタントコーヒー輸入が全面自由化になりました。(出典:全日本コーヒー協会)
こうして1960年代、インスタントコーヒー業界は熾烈な競争に突入しました。
このインスタントコーヒー市場で、シェア7割を押さえたのがネスレ。
1960年中頃、ネスレは既に「ネスカフェ」(のちの「ネスカフェ・エクセラ」)で日本の市場シェア5割を押さえていました。この「ネスカフェ」はスプレードライ製法という従来のインスタントコーヒー製法で作っていました。
そして1967年、ネスレは新たに「ゴールドブレンド」の発売を控えていました。「ゴールドブレンド」は、独自のフリーズドライ製法という、香味は保持できるものの手間がかかる方法で作っていました。
当時のネスレにとって至上命題は、インスタントコーヒー市場で、新たに発売する「コールドブレンド」が、既にシェア5割を持っている「ネスカフェ」のシェアを浸食しないこと(カニバライゼーションを起こさないこと)でした。
結果として、「ゴールドブレンド」は市場導入後7年でシェア20%を獲得する一方、「ネスカフェ」はシェアを維持。この時からネスレはインスタントコーヒー市場で両ブランド併せて7割のシェアを保持し続けています。
ネスレはどのようにして、カニバライゼーションを避けて、シェア7割を実現したのでしょうか?
「良い広告とは何か」(百瀬伸夫著)で、当時電通側の広告責任者を務めておられた百瀬伸夫さんが、この時のことを書いていらっしゃいます。(以下、同書p.59-105より抜粋)
「ゴールドブレンド」発売は、当時、極秘事項でした。ネスレのトップマネジメントと電通の精鋭メンバーで、二つの議題について打合せが繰り返されました。
1.マーケティングの方針と広告の目標
前述の通り、ネスカフェとのカニバライゼーションを最小限に止めること
2.コピー戦略
コンシューマー・プロミス(消費者に訴求する商品の特徴)=「ゴールドブレンドは、新鮮な味と香りに関しては、レギュラーコーヒーと変わらない良さがある」
ターゲット=「レギュラーコーヒーと変わらない味と香りのインスタントコーヒーを期待する男女。(品質を求めて、そのぶん高いお金を払ってもよいと考える人々)」
これらを元に、「ゴールドブレンド」のコミュニケーションが展開されました。
「ゴールドブレンドって言えば、あの『ダバダ〜』」と思いがちですが、実はその『ダバダ〜』の前に、あるテレビCMがありました。
当初、そもそも「ゴールドブレンドとは何か」が認知されていませんでした。そこで第一段階として、テレビCMでフリーズドライ製法をビジュアルで紹介するコピー戦略が必要だったのです。
「コーヒー豆をマイナス40度で凍らせて、これに瞬間的に熱を加えて爆発させ味や香りを封じ込め、コーヒー豆を顆粒状にする」という新しい製法を特殊撮影して、映像で流し、ヘッドライン。
「この一瞬に甦るあのうまさ、挽き立てのコーヒーのうまさ」
これが新発売広告キャンペーンで流されました。
発売直後のタイミングでは、「こうやって美味しく作っています。今までのインスタントと違いますよ」という認識を、消費者に浸透させる必要があったのですね。
この結果、「ゴールドブレンド」は発売から数年で5%弱の市場シェアを獲得。「イノベータ理論」で言うところの、イノベータとアーリーアダプターの間に浸透したことになります。
その上で、顧客層を「アーリーマジョリティ」に引き上げるべく、大規模な広告キャンペーンが行われました。
新しいクリエイティブチームはこう考えました。
「ゴールドブレンドをインスタントコーヒーと考えるのはやめよう。フリーズドライ製法で通常のインスタントでは得られない本格的な味を生み出すことに成功している。だから味を主体にしていこう。自分はコーヒー通だと公言したり、自慢する人にアピールしたい」
しかしテレビCMの時間は30秒。この限られた時間で「ゴールドブレンドは今までの常識を覆す、コーヒー通にも認められた美味なインスタントコーヒーです」と言っても、視聴者には伝わりません。
クリエイティブチームはホテルに泊まり込んで徹夜作業。苦しみ抜いていたある時、ある飲食店の看板に目が止まります。「違いがわかる店」
「これだ!こだわりをもつ人、コーヒー通というのは、要は『違いがわかる人』のことなんだ」
「違いがわかる男」の名ヘッドラインが誕生した瞬間でした。
このヘッドラインが優れた点は、粉のインスタントコーヒーより格が上だと言っているにもかかわらず、それをうまくオブラートに包んでいる点。
これまでインスタント市場に存在しなかった、味にこだわった初めてのインスタントコーヒー。コーヒー通の人にも、コーヒーの味にうるさい人にも、認めてもらえるコーヒー。これらすべての訴求内容を含んだヘッドラインになりました。
ちなみにネスレ経営陣の承諾を得る際、知恵を絞って”For the man who can appreciate the difference.”と英訳したそうです。これも名訳ですね。
コーヒーは欧米の商品として見られていたので、先行する「ネスカフェ」は「国際都市」シリーズとしてニューヨーク、パリ、ロンドンなどの都市を舞台に広告を出していました。そこで「ゴールドブレンド」は「ネスカフェ」とのカニバライゼーションを避けるため、舞台を日本に設定。
また当時、コーヒーは贅沢品。街には音楽喫茶など、静かな雰囲気でコーヒーを味わうことが多かったため、文化的趣きを演出することになりました。さらにインスタントコーヒーの利便性については、カップにお湯を注ぐシーンを挿入することで言外に伝えることにしました。
『ダバダ〜』で有名なCMソング「めざめ」も作曲家・八木正生さんが作曲し、”スキャットの女王”と言われた伊集加代さんが歌声を担当。
「違いがわかる男」の人選は、「一芸に秀でて、かたくなに味にこだわりそうな、物事に執着し、頑固一徹の魅力的なプロ中のプロ」という路線で選ばれました。
1985年に「違いがわかる男」シリーズを一旦終了した時点で、「ゴールドブレンド」がインスタントコーヒー市場に占めるシェアは1/4を超えていました。
その後、「上質を知る人」シリーズ(1999年まで)、「違いを楽しむ人」シリーズ(2000年から)と継続しています。
一口に「シェア7割」と言いますが、これは凄い数字です。
ランチェスターの法則を研究したクープマンが作った「クープマン目標値」では、以下のようになっています。
■独占的市場シェア:73.9% …完全な独占シェア。短期的に見ればトップが逆転されることの可能性は殆どあり得ない。
■相対的安定シェア:41.7% …首位のブランド/企業がこのシェアを占めている場合、トップの地位は安定。不測の事態に見舞われない限り、逆転されることは無い。
■市場影響シェア:26.1% …トップの場合の数字としては不安定な数字。二番手でもこの数字の場合は、市場に影響を与える地位にある。
■並列的競争シェア:19.3% …安定的トップの地位をどの企業も得られておらず、複数ブランドや企業が横並びに拮抗している状態。
■市場認知シェア:10.9% …市場でその存在が認知される水準。
■市場存在シェア:6.8% …市場で存在を許されるシェア。これ以下のレベルでは、成長性が見込めない限り撤退も必要
世の中を見ると、「独占的市場シェア」と言われる7割を握っていても、数十年のスパンで見ると、逆転されているケースや市場そのものが消失しているケースは少なくありません。
そんな中で、ネスレは1970年代にインスタントコーヒー市場でシェア7割を獲得し、40年以上維持しています。
これは凄いことですね。
2013年8月28日、ネスレ日本は「さよならインスタント」と銘打ち、インスタントコーヒー全ラインアップを「レギュラーソリュブルコーヒー」に切り替えることを発表しました。日経トレンディの記事
50年以上使い続けてきた「インスタントコーヒー」という名前を、自ら捨てる決心をしたわけです。
数日前の2013年年末、近所のスーパーの特売コーナーに「ゴールドブレンド」が置いていました。容器裏のラベルを見ると「インスタントコーヒー」と書いていました。一方で、コーヒーの棚には新たに「レギュラーソリュブルコーヒー」が陳列されていました。商品は着実に入れ替わっています。
新たなネスレのメッセージを、消費者がどのように受け止めるか。
そして、「レギュラーソリュブル」を含めたインスタントコーヒー市場がどのように変わっていくか。
見守っていきたいと思います。