今月の日本経済新聞「私の履歴書」は、ユニチャーム会長高原慶一朗さんです。
3/12(金)の記事では、1960年前半、30歳前後でユニチャームの前身であった大成化工で、新たに女性用生理用品という市場を見つけた時のことが書かれています。
当時発売され始めた女性生理用品は、日本では日陰者扱い。
薬局の奥の棚に置かれていました。
一方で高原会長は、米国視察旅行で、広いスーパー店内で、女性生理用品が一般日用品と全く同列に販売されていることを知りました。
日本も豊かになると米国同様、爆発的に売れていくことを予感、この市場に参入することを決意しました。
このように書くと新市場を発見し切り開いた新規事業開発の成功事例のように見えますが、先入観に左右されずにビジネスチャンスを見極めて判断されたことに感銘しました。
今でこそ、当時の米国同様、日本でも生理用品は日用品扱いで販売されるようになりましたが、このようになったのは1980年代に入ってからではないでしょうか?
実際、その後の連載では、もともと建築資材会社だった大成化工の社内で猛反対があり、そのような中で商品や市場開発を進めていったことが描かれています。
その情熱の根本にあるのは、女性に対する思いでした。
「薬局の奥の棚に日陰者扱いで置かれていた」1960年代に、迷うことなくこの市場に取り組もうと決意された高原会長のベンチャースピリット。
今の日本でこそ、必要なのではないでしょうか?