12月12日の日本経済新聞の記事「ニッポンこの20年 長期停滞から何を学ぶ―第3部薄れた存在感(3)」で、元日本サムスン社長・鄭さんの談話が掲載されていました。
—(以下、引用)—
「内需拡大」と言い始めたころから、日本はどんどん内向きになった。
大きくて成熟した市場があるから「このままでいいじゃないか」という空気が濃い。
韓国には何もないから、中国やタイで起業する人が多い。
その勢いがいまだに続く。
日本人は無口になった。
バブル以降、きちんとあいさつする人が減った。
個人主義的になってきたということだろうか。
それで仕事に必要な情報をうまく交換できるのだろうか。
日本人は集団プレーが上手で、これが強みだったのだが。
—(以上、引用)—
確かに耳が痛いご指摘です。
日本企業(特に電機と自動車)は1980年代まで絶好調でした。
国内市場で多くのメーカーが同一業種で切磋琢磨し、自前主義・垂直統合によるすり合せで製品を磨き上げ、国際競争力を付けて、世界市場を席巻しました。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本が出版されたのも、この頃。
そして日本は1980年代に円高に伴う内需拡大策に走り、バブルを迎え、絶頂期に至りました。
しかしバブルが崩壊し、債務・設備・雇用の「3つの過剰」を解消するのに10年を要す一方で、さらなる高度なすり合せ能力強化に走り、世界市場に目を向けず、国内回帰を図りました。
その一方で、グローバルレベルで、オープン分業型・モジュール化モデルを成功させた欧米+アジア勢に対して、国際競争力を失ってしまったのです。
世界でグローバル化が進み始めた1990年代、既に少子高齢化による日本国内市場縮小が予見できていたにも関わらず、内需拡大を志向し、世界に背を向けて、内向きに走ってしまったように思います。
鄭さんの談話を拝読し、2010年代の今からでも、グローバルを意識し、ビジネスパーソン一人一人が主体的に情報を発信していくことが、日本を強くしていくことにつながるのだ、と改めて思いました。