性善説だけど、性悪説


「あの人は性善説」、「あの人は性悪説」という感じで、私たちはラベルを貼り勝ちです。

しかし実際には単純に分けられないように思います。

 

例えば私は基本的に人のことを信頼しています。実際、人間関係は一方的なものではなく鏡ですので、こちらが相手に不信感を持つと相手からも不信感を持たれます。逆にこちらが信頼すると相手も信頼されることも多いのです。

こっちが不信感を持っているのに、相手がこちらを信頼してくれている…ということはあまりないですよね。

 

一方で「信頼するけど、信用しない」という言葉があります。

相手のことは信頼しているけど、その相手も間違うこともあります。だから100%信用するのは必ずしも正しくない。このことは色々な人達と一緒に数多くの仕事を経験した方なら、お分かりになるのではないでしょうか?

結局、「性善説か?性悪説か?」という二元論ではなく、「性善説だけど、性悪説」という形になるのが実際のところなのかな、という気がします。