日経ビジネスオンラインでキャメル・ヤマモトさんが執筆された下記記事を拝読しました。
「日本人がグローバル人材になるための方法 マインドは「ドイツ人」の三菱ふそうの日本人社員」
この記事では、三菱ふそうトラック・バスの人事担当常務・江上茂樹さんとのインタビューが掲載されています。
もともと江上さんは、「三菱ふそうならば英語を使う必要はないだろう」と考えてこの会社に入られましたが、その後、三菱ふそうは独ダイムラー・クライスラー(当時)の傘下に入り外資系企業になりました。
それから10年経った現在、江上さんの頭の中の7−8割はドイツ・グローバル流にシフトしたそうです。
一つのきっかけは、実際にドイツ人と一緒に働き始めて、「彼らも人間なのだ」ということがわかったこと。
これは私も20代前半にグローバルコミュニケーションを初めて体験して、実感したことです。
「相手も同じ人間だ」と実感するところは、意外とグローバルコミュニケーションでは出発点なのかもしれませんね。
さらに、仕事のコミュニケーションで、明快なストーリーとオープン・透明性を持ち、事実に基づいた議論を徹底する重要さを述べておられます。
でもこれは考えていると、グローバルコミュニケーションでなくても大切なことです。
改めて、グローバルコミュニケーションではビジネス力が求められているのだと再認識しました。
また江上さんは日本でこのような劇的な変化が起きない理由は、「必要性の度合い」であるとして、以下のように述べておられます。
「典型的な日本企業の場合には、ダイムラーのような外部からのインパクトがない。だから必要性も頭でちょっと考えた必要性にとどまる」
記事を拝読して、ある程度の必要性に迫られないと、グローバルコミュニケーションは進まないのかもしれない、と思いました。