本日(2007/5/9)の日経の見開き広告に目を止めた方は多かったのではないでしょうか?
背景は緑。
若手有名タレントがゾロっと並び、皆で薄緑色のTシャツを着ていて、胸には21の数字。
しかし、何の広告か分からないですね。
これに企業ロゴがあれば、
「ああ、○▲□社の広告ね。こんなにタレント使って、お金が沢山あっていいなぁ」
と思いながら5秒ほど眺めてページをめくり、多くの場合は10分後にはこの広告のことは忘れていると思います。
しかし、この広告、何なのかよく分からないので、私は丹念に見てしまいました。
会社名を見ているだけでは何の会社か分かりませんでしたが、会社名でインターネットで検索して分かりました。タレントのマネージメントをしている会社だったのですね。
所属タレントを全員集めて集合写真を撮影したようです。4人ほど都合が悪かったようで、別枠での写真になっていましたが。
商品であるタレントの認知度向上と、そのようなタレントが会社に在籍していることをアピールする意味で、有効な広告だったのではないかと思います。
私と同じ人は結構多かったようで、通勤時に、新聞を広げてこの広告を時間をかけて見ている人が結構いました。
日経朝刊の見開き広告で、これだけ目にとまるケースは珍しいのではないでしょうか?
ふりかえって考えてみると、私自身は、「単にワケが分からない」広告とか、逆に「とても分かり易い」広告は、スルーしてあまり覚えていません。
「インパクトがある」広告には目を止めますが、この場合でも、自分の興味がある内容でない限り、じっくり見ることはありません。(まぁ、ここで広告を見る人が対象セグメントかどうか、企業側はふるいにかけている訳で、これはこれでよいのでしょう)
しかし、「インパクトがある」一方で、「何の広告か分からない」広告は、どうしても気になってしまい、じっくりと読んでしまいます。
そう言えば、数ヶ月前に、電車で逆さに貼っていた広告が妙に気になって、しげしげと時間をかけて見てしまったことがありました。どうも広告を車内に貼った人の手違いによる偶然だったようですが、こういうこともあるのですね。
マーケティング戦略やマーケティング・コミュニケーションには、首尾一貫性と分かりやすさが重要であることには変わりはありませんが、こと広告に限っては、広告の認知度向上のために、あえてちょっと分かりづらくしてしまう、というのもアリなのではないか、と考えた次第です。
ただ、単に分かりづらいだけでなく、分かった後、「あ、そういうことだったのね!」と思わせる仕掛けと、対象セグメントにうまくリーチする仕組みがないと、逆効果ですね。この点は気をつけたいところです。