今日は、数年前に修了した多摩大学・大学院の同窓会の総会がありました。
この総会で、私が在学当時の研究科長で、私が大変お世話になった青山先生の退官のスピーチがありました。
ご自身の小学校の時の思い出に始まり、中学、高校、大学、留学先のお話しが続き、研究科長当時の思い出をされた際に、三好達治の詩集「艸(くさ)千里」の「汝(なれ)の薪(まき)を運べ」を朗読されました。
在学中、先生がよくこの詩を私達に語ってくださったことが思い出され、当時、仕事の合間をぬって睡眠時間を削りながら勉強を続けつつ、先生と大学院を盛り上げようとしていたあの頃のことが、先生の朗読で鮮やかに思い出されました。
この詩の一部分を引用します。
—(以下、引用)—
春逝(ゆ)き
夏去り
今は秋 その秋のはやく半ばを過ぎたるかな
耳かたむけよ
耳かたむけよ
近づくものの声はあり
(中略)
やがて雪ふらむ
汝(なれ)の国に雪ふらむ
きびしき冬の日のためには
炉(ろ)をきれ 竈(かまど)をきづけ
孤独なる 孤独なる 汝の住処(すみか)を用意せよ薪をはこべ
ああ汝
汝の薪をはこべ日はなほしばし野の末に
ものの花さくいまは秋
その秋の林にいたり
汝の薪をとりいれよ
ああ汝 汝の冬の用意をせよ—(以上、引用)—
ちなみに、この詩が書かれた昭和14年当時、三好達治は39歳だったそうです。
社会人大学院生として、先生のお話しを学び舎で聞いていたあの頃、一生懸命、薪を運んでいたように思います。
今日、数年ぶりにこの詩の朗読を拝聴し、改めてその意味がより深く分かるような気がします。
今、私は薪を運んでいるのか、改めて自問しています。
青山先生、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。