「オウム事件」と言うと、現代の若い方々は名前だけしか聞いたことがないかもしれません。
16年前の1995年3月20日、東京で「地下鉄サリン事件」という戦後最大の無差別テロが発生しました。
都内の地下鉄千代田、丸ノ内、日比谷の3路線・5電車で、猛毒化学物質サリンがまかれ、13名が死亡、負傷者6000名以上という被害が出ました。
この事件を起こしたのが、オウム真理教。
16年前の地下鉄サリン事件の当日、私は会社を休んでいて、築地駅に集まる救急車を上空から撮影している様子を自宅のテレビで見ました。
「今までに考えられなかったことが、日本で発生している」という大きく不気味な不安感を感じたことをよく覚えています。
それから1-2年間、「オウム事件」は日本全体をゆるがしました。
「地下鉄サリン事件」に先立つ事件もありました。
1989年の「坂本弁護士一家惨殺事件」。教祖の指示を受けた教団幹部6名が、「被害者の会」の中心メンバーとして教団の批判活動をしていた坂本弁護士宅に侵入し、一家3人を惨殺した事件です。
1994年の「松本サリン事件」。長野県松本市で猛毒のサリンがまかれ、8名が死亡。100名が重軽傷になりました。教団がらみの訴訟を扱っていた長野地裁・松本支部を標的にした事件でした。
この一連の事件を巡る刑事裁判は、11月21日に189名の被告中、最後となる遠藤誠一被告の上告審判決を迎えます。
2011年11月19日の日本経済新聞の記事「オウム裁判終結へ 凄惨テロ 傷跡深く」では、この事件を検証しています。
この中で関係者の方々のインタビューが掲載されています。
たとえば、弁護士の滝本太郎さんは、以下のように語っています。
—(以下、引用)—-
オウムは「良い人」が「良いことをするつもり」で起こした宗教殺人だ。そのことが若い人たちの間で知られていないことを懸念する。今も入信は続いており、カルト対策は進んでいるとはいえない。
—(以上、引用)—-
人は、「良いことをしている」と思っていて悪しきことを引き起こすことがある。それがオウム事件だった。しかしそのことが、現代の若い人達の間で知られていない。
このことを、改めて考えてみる必要があるかもしれません。
また、松本サリン事件被害者の河野義行さんは、以下のように語っています。
—(以下、引用)—-
松本サリン事件から16年余り過ぎた2010年9月、住み慣れた長野県松本市から鹿児島市に移住した。寝たきりだった妻の澄子が08年に亡くなり、人生に一区切りを付け、暖かいところで趣味の釣りを楽しみたかった。
(中略)
オウム事件の被告や刑期を終えた元信者らに恨みはない。妻の見舞いに来てくれた元信者とは、今でも一緒に釣りや温泉に行く。実行犯とも拘置所で面会し、入信のいきさつや謝罪の言葉に耳を傾けてきた。
事件直後は私自身が容疑者扱いされ、理不尽な思いをした。誰もが加害者にも被害者にもなり得る。だからこそ、判決確定まで容疑者は推定無罪の原則で扱われるべきだし、出所後は犯罪者扱いはやめるべきだ。
—(以上、引用)—-
河野さんは松本サリン事件の第一通報者でしたが、当初は家宅捜索を受けたり、報道でも容疑者扱いされました。また、14年間、意識不明状態になられた奥様と過ごされています。
その河野さんがおっしゃっているのは、まさに「罪を憎んで人を憎まず」。
17年前の松本サリン事件から、様々な葛藤を乗り越えられてきたであろう、河野さんだからこそ伝えられる、この言葉の重さを感じました。
同じ2011/11/19の日本経済新聞は「オウム残痕(3)「救ってくれると感じた」―悩み・不満に入り込む」という記事で、現代の日本で、カルト宗教が若い人達に入り込んでいることが書かれています。
オウム事件が風化しつつある中、改めて「オウム事件とは何だったのか」を振り返ることが、必要なのではないか、と思いました。