「永井さんはIBMご出身ですよね。IBM時代に事業変革に関わったご経験で、日本企業にとって参考になるエピソードがあったら教えてください」
研修の質疑応答で、こんなご質問をいただきました。
私はこのようにお答えしました。
「強力なライバルが、一夜明けるといきなり最重要パートナーになる経験をしました。企業規模の大小や業種を問わず、様々な企業で参考になると思いますので、このお話をします」
1998年、私は製品開発マネージャーからマーケティングマネージャーに異動になり、IBMが自社開発していたある業務用アプリケーション製品のマーケティングを担当することになりました。他社の業務用アプリケション製品は、強力なライバルでした。(業務用アプリケーションとは、顧客管理、会計、人事管理のように、業務用に作られたソフトウェアのことです)
翌年の1999年11月。IBM本社は、ある宣言をしました。
「業務用アプリケーションの開発・販売をする会社は、IBMにとって重要なパートナーです。ですので、IBMは今後、業務用アプリケーション製品の自社開発は行いません」 (注:これは「デベロッパー憲章」と呼ばれています)
自社開発の業務用アプリケーションに携わっていた現場の私たちにとって「今やっていることはやめる」と言われたのですから、このIBM本社の方針転換はまさに晴天の霹靂(へきれき)でした。
なぜIBMは、このような宣言をしたのでしょうか?
実は当時、ユーザーがライバルの業務用アプリケーションを使う際には、IBMのハードウェア・システムソフトウェア・サービスと組み合わせて使うことが多かったのです。
その理由は、IBMが持つ本来の強みにありました。
1999年当時、お客様が業務用システムを使う場合は、自前でシステムを用意する必要がありました。システムを用意するためには、複雑なIT系システムをすべて統合することが必要です。(ちなみに現在は、多くの業務用システムがクラウドで提供されているので、ユーザーは自前ですべての業務用システムを用意しなくてもよくなりました)
そのような課題を持っているお客様にとってIBMの強みとは、「他社製業務用アプリケーションに、サービス・ハードウェア・システムソフトウェアを統合して、提供できること」だったのです。
たとえばIBMのサービス部門には、他社業務用アプリケーションを統合できる高いスキルを持つエンジニアが数多くいました。
IBMのハードウェア部門には、他社業務用アプリケーションに最適化した製品群がありました。
しかしIBMが自社開発アプリケーション製品に固執すると、他社製業務用アプリケーションに、IBMのサービス・ハードウェア・システムソフトウェアを提供する機会を失ってしまうことになります。
そこでIBMは、業務用アプリケーションの自前主義を捨てたのです。
現場で自社開発の業務用アプリケーションに関わっていた人達は、大変でした。
まず、それまで開発を続けてきた自社開発の業務用アプリケーションを今後どのようにしていくのかを決めなければなりません。私自身も、個別対応策に追われました。
さらにライバルだった会社が一夜明けると最重要パートナーになったので、営業の仕組みも大きく変わりました。
これまで自社開発の業務用アプリケーションに関わっていたマーケティングやセールス担当者は、それまでライバルだった他社の業務用アプリケーションと自社ハード・ソフト・サービスを組み合わせて、統合ソリューションとして販売することが仕事になりました。
それまではライバルには極秘だった案件情報も、新たにパートナーとなった相手に定期的に情報共有する仕組みを作り、お互いに協業責任者を置き、一緒に販売する体制も整えました。
自社開発アプリケーションをやめた結果、それまでの手強いライバルは、一緒にビジネスを開拓する心強いパートナーに変わりました。しかも、すべての業務用アプリケーションを開発・販売する会社がパートナーになったのです。
2000年代、IBMのハードウェア・システムソフトウェア・サービスといった主力製品/サービスのビジネスは、大きく成長しました。
この経験で私が学んだことは、自社の強みと、その強みを活かせるお客様の課題を見極めた上で、強化するモノ、やめるモノ、追加するモノを明確にし、全社でその戦略を共有し、首尾一貫して、徹底的に実行することの大切さでした。
今回のケースを整理すると、次のようになります。
IBMの強み:他社製業務用アプリケーションに、サービス・ハードウェア・システムソフトウェアを統合して、お客様に提供できること
お客様の課題:複雑なIT系システムをすべて統合すること
やめるモノ:自社開発の業務用アプリケーション
強化するモノ:他社の業務用アプリケーションに最適化したハードウェア・システムソフトウェア・サービス
追加するモノ:他社の業務用アプリケーション・パートナーとの協業体制
「IBMさんは大企業だからね。ウチは中小企業だから、参考にならないよ」と思われる方がいるかもしれません。
しかし、そうではありません。この基本的な考え方は、企業規模や業種が変わっても重要なのです。
御社がやっていることは、昔は意味があったとしても、もしかしたら今はお客様にとっては意味がないかもしれません。それをやめることによって、新しい事業が生まれる可能性もあるのです。
むしろIBMのような巨大組織でなく、小回りが利く小さな会社こそ、この考え方を迅速に実行できる環境は整っているはずです。
そのためには、常に「現時点で、お客様にとっての自社の強みは何か?」を問い続けることが必要なのです。
とは言え、多くの日本企業は、なかなか「やめるモノ」を決められません。決めても、なかなか実際に捨てることが実行できません。しかし「やめるモノ」を実際にやめなければ、新しいことに挑戦しても、中途半端になってしまうことが多いのが現実です。
逆に考えれば、1998年から1999年のIBMのように、戦略的に自社の強みと、その強みを活かせるお客様の課題を見極めて、「やめるモノ」「強化するモノ」を考えて実行することで、日本企業は大きく成長する余地が残されているはずです。
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