「日本人は○○だから…」という発想のままでは、日本は変わらない


2011年以来、世界の経営思想家ランキングThinkers50に選出され続けている経営学者エイミー・エドモンドソンは、著書「恐れのない組織」で日本の組織について述べています。エドモンドソンの指摘は、私たち日本人にとって実に参考になります。

たとえば彼女は本書で福島第一原発事故を詳細に分析しています。そして調査委員会の黒川清委員長が事故報告書に記した言葉を引用しています。

『根本原因は日本文化に深く染みついた慣習─盲目的服従、権威に異を唱えないこと、「計画を何が何でも実行しようとする姿勢」、集団主義、閉鎖性──のなかにある』

この報告書について、エドモンドソンは著書でこう反論しています。

「黒川が挙げた「深く染みついた慣習」は、いずれも日本文化に限ったものではない。それは、心理的安全性のレベルが低い文化に特有の慣習だ」

心理的安全性とは、集団の大多数が「ここでは何でもいえるし、心おきなくリスクが取れる」と感じる雰囲気のことです。心理的安全性がある組織のメンバーは、「ここでは率直に意見してもOK」と感じ安心して活発に議論します。

たとえばクリーンディーゼルの不正問題が起こった当時のフォルクルワーゲンは、まさに心理的安全性がとても低い組織でした。不安と脅しにより社員を恐怖で支配する組織文化だったのです。そして誰も悪い報告を上げなくなり、不正が起こりました。

また「日本では率直な発言やミスの報告を促そうとしても、徒労に終わる」という意見に対して、彼女は「トヨタ生産方式は立場の上下を問わずに全従業員に積極的に誤りを指摘することを求める。…つまり、やろうと思えばできる、ということだ」と反論しています。

エドモンドソンの指摘は、まさに慧眼だと思います。

私たちは

「これは日本特有の問題」→(だから仕方ない)

と考えがちです。でもこうなると解決は難しいですよね。

「俺ってこんな性格だからさ。仕方ないんだよ」

と開き直る、どこかの偏屈で頑固なオジさんみたいです。

しかし「人間はどこの世界でも、さほど変わらない」と考えれば、必ず解決策があります。

組織の違いを生むのは、個人の特性よりも、むしろ社会構造なのかもしれません。

確かに日本社会は他の社会とは異なる構造をしています。しかし日本以外の全ての社会も、他の社会とは異なる構造をしているものです。社会構造の違いがあるのであれば、その違いが何なのかを見極めるべきなのです。

日米で比較研究を続けてきた社会心理学者の山岸俊男先生は著書『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』で、「日本人は米国人より集団主義だ」という常識を日米の比較実験で確かめています。実験の結果、意外なことに日本人は赤の他人を信じない個人主義者でした。社会構造がムラ社会中心だった日本人は、逆にヨソ者を警戒するのです。

一方で移民の国・米国社会も19世紀までは、日本のムラ社会のように同じ出身地や宗教の人たちが集まる集団社会でした。米国では急速な工業化でこの集団社会が失われて法制度が進み、今のようなフェアな社会構造が生まれたのです。

「日本人はこうなっている。だから仕方ない」と考えずに、「どこに問題があるのか?どうすればいいのか?」と未来志向で考えたいものです。

     

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