9.11の米国で、一時行方不明になった私


私は9.11の時、米国にいました。そして2日間、私が行方不明になったので、日本の同僚や家族に大きな迷惑をかけてしまいました。今日はそのお話です。

スマホでネットに常時接続するのが当たり前の現代であれば、9.11のような大事件が起こると、数十分後には世界中の人々に情報が伝わります。

しかし現代からすると信じられないことかも知れませんが、当時米国にいた私は2日経っても9.11のことを知らなかったのです。

当時、私は米国の西海岸にある国立公園で旅行中でした。旅行中はパソコンを持参していて、1日に1回、ホテルの電話回線にモデム経由で繋げて、個人や会社のメールに返事をしていました。

しかし9.10から、部屋に電話もテレビもないホテルに泊まっていました。新聞もありません。
その国立公園の雰囲気はよかったのですが、電話もテレビもないのは不便なので、9.13に同じ国立公園内にある別のホテルに行き、受付で予約しました。

予約が終わり、ロビーで一息ついていました。ロビーではCNNが流れていて、なぜかビルが崩壊する様子を繰り返し流しています。ニュースキャスターたちは早口でまくし立てています。よく聞き取れません。

当初の私の印象は…

「なんで新作映画の宣伝を、こんなに時間をかけて流しているんだろう?」

よく聞くと映画ではなく、何か事件が起こっているようです。「テロ」という言葉も聞こえます。さらによく見ると、崩壊したビルはマンハッタンにある有名なワールドトレードセンターのようです。

「でもなんで崩壊しているんだ? テロなのか?」

そのうち番組では、米国の一般人がスタジオで討論会をしている様子に切り替わりました。

何か事件が起こっているらしいことはわかりました。でも国立公園内にいる周囲の米国人たちは普段通りです。そのうちニュースのことは忘れました。

ホテルに戻ってレセプションで鍵を受け取ると、日本から連絡が入っていた。
会社の上司からで、「すぐに実家へ電話しろ」とのメッセージ。「おかしいなぁ。ここに泊まっていることは誰にも伝えていないのに…」と思いました。(あとで上司がこの周辺のホテルに「ナガイという日本人が泊まっていないか」と電話をかけまくっていたことがわかりました。有り難いことです)

私は「親戚に何かあったのか?」と思ってすぐに電話したところ、両親が電話に出て「大丈夫か?」。

日本では、何か大騒ぎしているようです。そうしてやっと9.11テロが起こっていることがわかりました。9.11から2日間経っていました。

9.10までマメにメールで連絡していた私が、突然9.11以降メールの連絡が途絶えたので、日本では「テロに巻き込まれたのではないか」と大騒ぎになっていたようです。

実際にはテロが発生したのは東海岸。私たちがいたのは、数千Km離れた西海岸の僻地にある国立公園。まったく通常通りです。

でもそんなことは、日本では全く分かりません。「米国国内全体が緊急事態」と思われていたようです。

その後、気がつくと、色々な変化が手に取るように感じられました。

車には、米国国旗が掲げられています。
至る所にある、米国国旗が半旗になっています。追悼の意味です。
数日後にラスベガスに入ると、電光掲示板に”God Bless America” (神はアメリカを祝福している)というメッセージが目立つようになりました。

CNNなどでは市民による討論会が頻繁に放映されるようになり、「米国はどうすべきか?」を議論しています。

米国が急速にナショナリズムに目覚めていく様子が、肌感覚で感じられるようになりました。

その後の22年間で、米国は二転三転します。

まず9.11をきっかけに、「米国流自由民主主義を世界に根付かせるぞ」と考える米国ネオコン(新保守主義)が台頭。ブッシュ政権は2003年イラク戦争→中東民主化政策に突き進みました。2010年には反政府民主化運動「アラブの春」が起こり、長期独裁政権が相次いで倒れました。

しかしその後の民主選挙で生まれた中東の多くの政権は、クーデターで崩壊。混乱が続いています。

そして米国では「アメリカ・ファースト」を標榜するトランプ大統領が誕生。内向き志向を強め始めました。この内向き志向はバイデン政権でもやや弱まりつつも引き継いでいるように見えます。

これらの大きな歴史の転換点が、9.11でした。その時に米国全体の空気感が大きく一変する転換点を肌で感じたのは、貴重な経験でした。

   

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