エルメスの「バーキン」というバッグをご存じでしょうか?
とても入手困難であり、非常に希少性が高いバッグで、定価140万円以上します。
「そりゃ高いなぁ。でも直営店だったら買えるんでしょ」
と思ってしまいますが、直営店に商品がディスプレイされていても、それはディスプレイ用の商品であって、まず売ってくれません。
バーキンを買うには、直営店舗に常にお顔を出して店員さんと顔なじみになり、深い関係を構築して、やっと買えるのです。
ちなみに米国では「エルメスは他商品を多数購入した実績がないと、バーキンを販売してもらえない。他商品の購入強制はおかしい」という訴訟まで起きています。
「でも、ネットなら入手できるでしょ」となるわけですが、「バーキン 値段」でネット検索すると、360万円とか400万円とかの商品が出てきます。どれも中古です。ちなみにこれはバッグ1個の、しかも中古の価格です。あまりに入手困難なので、プレミアムが付いているのです。
ちなみに英国では、1日2万円でバーキンをレンタルできるサービスがあります。
実はバーキンは、不定期に直営店にバーキンが入荷されることもあるので、うまくそのチャンスに遭遇すれば、直営店で深いリレーションがなくても、一見さんのお客でも買えてしまうこともあるそうです。
そこで「エルパト」という言葉が生まれました。「エルメスパトロール」の略です。直営店を何店舗も巡って、バーキンの入荷がないか尋ねるわけですね。入荷の事前情報は極秘なので、直営店に出向くしかないわけです。
当然ながら、他にもエルパトする多くの客がいます。ですので順番待ちになります。運良く入荷されても、自分の前に待っていた客が買ったら、買えません。
もし運良くバーキンに出会っても、色やデザインが自分の好みとは限りません。でもこの時に買わないとバーキンには二度と出会えないかもしれない。買わなければ次の人が買うわけです。
つまりエルパトをしても、強運に恵まれないと買えないわけです。
このバーキン、マーケティング的には実にネタ満載です。そこで分析してみましょう。
①バーキンの商品価値は「記号」である
そもそもバーキンという商品は、どんな価値を持っているのでしょうか?
150年前、カール・マルクスは古典的名著「資本論」で、「商品には欲望充足が目的の使用価値と、どんな量の商品と交換できるかを示す交換価値がある」という商品論を提唱しました。このマルクスの商品論でバーキンを分析すると、
【使用価値】「モノを収納すること」で、100円ショップで売っている商品と変わらない
【交換価値】直営店で入手して中古で転売すると確実に儲かるが、バーキンが欲しい多くの人は、転売目的では買わない
つまりマルクスの商品論では、バーキン現象は説明できません。
そこで役立つのが、1970年にボードリヤールが書いた『消費社会の神話と構造』です。
本書でボードリヤールは、消費社会になって、社会構造がどう変わったのかを考察しました。そして「消費社会では、商品という記号を消費することで、差異化を図っている」と見抜いたのです。
ボードリヤールの記号論マーケティング的に考察すると、バーキンが与えてくれるのは、
・特権的な地位や富を示すステータスとしての記号であり、
・洗練された趣味や文化的な理解を持っていることを示す記号であり、
・所有者が「選ばれた者」であることを示す記号であり、
・自分が特別な存在であることを示す記号なのです。
1000万円を超えるローレックスを持ったり、1億円を超えるフェラーリを乗る男性も、ほぼ同じですね。「成功した、特別な自分としての記号」を買っているわけです。
そしてこれがブランド論と繋がっています。
②膨大なブランドエクイティ(ブランド資産)
1980年代前半まで、多くの人たちは「ブランドは、要は看板でしょ。広告代理店に任せればいいよ」と考えていました。
そして1985年、のちにブランドの大家と称されるデービッド・アーカーは「ブランドは企業にとって、商品や人材と同様に、資産価値を持っている。だからブランド戦略をちゃんと考えるべきだ」と考えて、「ブランドエクイティ」(ブランド資産)という概念を提唱しました。
バーキンも、購入する前のワクワク感、購入したときの高揚感、実際にバッグを使っている時に受ける羨望の眼差し、所有し続けることの安心感など、顧客に様々な満足を提供しています。
さらに各界のセレブたちもバーキンを普段使いしています。バーキンを持つ人たちは、彼らと同じ世界に浸れるわけです。
こうしてバーキンは長い年月をかけて、莫大なブランドエクイティを構築してきたのです。
そしてバーキンがブランドエクイティを構築する上で重視した要素が、次にご紹介する供給のコントロールです。
③莫大な需要に対して、わずかな供給
エルメスはバーキンで、需要と供給のバランスを大きく崩しています。
「エルパトして、店に100回通ってでも欲しい」「少々プレミアムが付いてもOK」という顧客がとても多いのに、エルメスは砂漠に水を垂らすほどのバーキンしか提供していません。
供給を意図的に制限することで希少性を演出し、手に入れること自体をステータスに変えているわけですね。
これは、フェラーリやデビアスと同じ手法です。
フェラーリの生産台数は「限定499台」といったように端数です。これはフェラーリの創業者・エンツォ・フェラーリの「欲しがる客の数よりも1台少なく作れ」という言葉に従ったものです。
ゲーム理論的に言えば、商品をどうしても欲しいという顧客の数よりも少ない商品を供給すれば、商品の価値が上がり、売り手の顧客は言いなりになります。
ダイヤモンドの世界流通の85%を支配し、ダイヤモンドを事実上独占販売するデビアスも、このことを熟知しています。
ダイヤモンドの供給量はデビアスが決定。販売会には150業者を招待して割当を提示します。業者の選択肢はYESかNOの二択で、交渉の余地はありません。
バーキン、フェラーリ、デビアスのように「どうしても欲しい」という顧客を創り出した上で、その顧客への供給が自社だけであるという状況を生み出せば、需要と供給の関係はいかようにもコントロールできるわけです。
こうして見ると、エルメスはブランドという概念の本質を理解した上で、実に老獪なマーケティング戦略を実践していることがよくわかりますね。
ちなみに私は、時計は10万円のApple Watchですし、バッグは5万円のPorter(吉田カバン)です。どちらも品質が高く、価格は少々高いもののその価値の割には納得価格なので、買い替え続けて使っています。年間500Km程度しか乗らなかったクルマは、10年以上前に手放してしまいました。
こんな私を記号論マーケティング的に考察すると、「実質的で等身大な自分として記号として、Apple WatchやPorterを買っている」という感じで分析できるかもしれませんね。
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