選挙は、理想の候補者を選ぶ仕組みではない

7月20日は参議院選挙です。

選挙が近いので、SNSを見ると様々な意見が飛び交っています。たとえばこんな意見もよく見かけます。

「選挙? 忙しいから行かない。どうせ投票したって何も変わらないし」

そうですよね。ただでさえ忙しいのに、選挙なんて余計な仕事が増えるとさらに忙しくなるって話ですよね。

それに自分の1票なんて、選挙区に有権者が100万人いたら、影響力はわずか1/100万。

そんなのに時間を使うのなら、スマホでSNSを見て、自分の意見を投稿した方が、よほど有意義で充実した時間を過ごせるってもんですよね。

こんな意見も見かけます。

「選挙は行くよ。国民の権利だからさ。でもウチの選挙区、投票したい人がいないんだよね。だから白票を投じるよ」

なるほど、確かに選挙公報に載っている候補者を見ると、推せる候補者がなかなか見つかりませんよね。

こんなことを言うと「だったらお前が立候補しろ」なんて乱暴に意見する人もときどきいますが、自分には自分の仕事があります。はっきり言って大きなお世話。

だから抗議の意味で白票を投じるわけですよね。

 

さて、こういう意見を言うのは決して若者だけではありません。50代や60代でも多く見かけます。

一方で80代以上になると、こんなことを言う人はあまりおらず、むしろ「選挙は行かなきゃダメだよ」と言う人が多いようにも感じます。

このあたりのことは、どう考えればいいのでしょうか?

 

そのヒントは、かつて英国の宰相・チャーチルが語ったこんな言葉にあります。

「民主主義は最悪の政治形態だ。
これまでに試みられてきた
他のあらゆる政治形態を除けば、だが」

なんと「民主主義は最悪の方法」というのです。
でも「他のあらゆる政治形態よりはマシ」というのは、どういうことでしょうか?

 

実は、現代の自由民主主義は、人類が数千年間、膨大な試行錯誤を繰り返した末に、消去法で「一番マシな方法」として残った方法なのです。

現代の民主主義は消去法で選んだので、欠陥が色々とあります。

「忙しいから行かない」という人がいるように、手間がかかります。
さらに「投票したい人がいない」というように、必ずしも理想の候補者を選べません。

それでも、この方法が一番マシなのです。

ザックリ言うと、過去にはこんな方法が試されました。

①王制
…「民のために朕がいる」と考えるような一番徳が高い王に、全て任せる

②貴族制
…「民のために我らがいる」と考えるような徳が高い貴族に、全て任せる

これがずっと続けば、、わざわざ選挙に行く手間も省けるので万事OKなのですが、なかなかそうはいきません。権力を持った人間は、かなり高い確率で、確実に腐敗するからです。

すると、同じ権力者が、こう変わってしまいます。

❶王制→僭主政
…「朕のために民がいる」と考え、民を自由に処罰し始める。こうなると暴走に歯止めが利きません。北朝鮮のように、いきなり強制収容所行きになります。それに人口が多いと、一人の王で全てを決めるのはそもそもムリです

❷貴族制→寡頭制
…「我らのために民がいる」と考え、贅沢三昧する。❶ほどヒドくはなりませんが、フランス革命前夜の貴族のように腐敗します

どちらもうまくいきませんよね。

 

そこで代議士を選んで議会に送り、多数で議論する「民主制」という仕組みが作られました。

この民主制も、実は腐敗してしまいます。でも人数が多いので、❶僭主政や❷寡頭制ほど極端に腐敗はしません。ある程度歯止めが利きます。こんな感じです。

「コイツ、オレの悪口を言ったぞ、強制収容所に送ってやる!」
「まぁ、そんな興奮せずに。ここはガマンですよ」

実は2500年前、古代ギリシャのアリストテレスがこのあたりのことを分析しています。

古代ギリシャには1000以上の都市国家「ポリス」があり、既に文字もあったので、都市国家の栄枯盛衰が記録に残っていました。観察と研究が大好きだったアリストテレスは、これらの記録を分析して、「政治学」という本にまとめたのです。

アリストテレスの結論をひらたく言えば…

「権力って、必ず腐敗するんだよね。
しかも巨大国家だと、王制はムリです。
消去法で選ぶなら、ぶっちゃけ民主制しかないでしょ」

ということです。

これがチャーチルの

「民主主義は最悪の政治形態だ。
これまでに試みられてきた
他のあらゆる政治形態を除けば、だが」

という意味です。

確かに民主主義は、手間がかかりますし、必ずしも理想の候補者を選べません。
でも現実的には、これが一番マシなのです。

では、なぜ80代以上の人たちは「選挙に行くべきだ」と言うのでしょうか?

それは戦争でひどい目にあったからです。

実は日本も、昭和の始め(1925年)の頃までは、平和で栄えた国でした。
しかし昭和10年(1935年)頃から思想が統制され、軍部が台頭し、戦争に突入。
昭和20年(1945年)に戦争に敗れ、日本は焼け野原になりました。

特高警察ってご存じでしょうか?

「北朝鮮は問答無用で市民を強制収容所に送って、拷問している」と言われていますが、当時は日本の特高警察も、戦争や軍部に反対する人たちに対して、まったく同じ事をやっていたのです。

80代以上の人たちは、こうした自由や言論の制限を、実体験として知っています。

「自分たちは政治に対して何も言えなかった」
「戦争に反対できなかった」

という無力感を味わってきたのです。

加えて当時、日本の民主主義は未成熟でした。女性には選挙権がなく、国会議員よりも天皇・軍部・内務省の力の方が圧倒的に強く、民意を政治に反映できませんでした。

さらにマスコミも軍部に統制され、むしろ新聞が売れるので積極的に軍部に協力し、民衆を熱狂させて、戦争へと駆り立てました。

※ このあたりのことは半藤一利著『昭和史 1926-1945』に詳しく書かれています。

選挙で、全て変えられるわけではありません。
でも選挙すらなければ、こうした暴走する国家権力に対する歯止めがなくなります。

だから80代以上の人たちは「選挙に行くべきだ」と言っているわけです。

実際に日本でも、選挙で国のあり方が変わっています。

戦後は自民党が長年政権を担ってきましたが、バブル崩壊後は、政治とカネの問題や派閥政治、利権構造などで国民の不満がマグマのように溜まり、2009年、「自民党政治を終わらせる」をキャッチフレーズにした民主党への政権交代が実現しました。

しかし民主党も経験不足や路線対立によって政権運営は難航し、2012年には自民党が政権を奪還しました。

つまり日本でも、選挙による民意で、政権が変わってきたのです。

1票の力は、確かに1/100万かもしれません。
でも、これが数十万票集まればもの凄い力に変わります。これが選挙なのです。

 

「でも投票したい人がいないから、白票を投じる」と言う人もいます。

こういう人は、もしかしたらこう考えているかもしれません。

(選挙って、理想の候補者を選ぶ仕組みでしょ。でも候補者、ダメな奴しかいないよ。ここは抗議の意味で、白紙投票してやる)

白紙投票は、確かに「マシな候補者出せよ」という抗議にはなるかもしれません。
でも現代の民主主義制度では、選挙結果には何の影響も与えません。
つまり「白紙投票は、今の政治を消極的に肯定している」ことになってしまうのです。

 

では、どうすればいいのでしょうか?

候補者の中には「この人に政治権力を持たせるのはヤバい」という人や「自分と考え方が全く違う」という人がいる筈です。

選挙はそういう人を選ばずに、「この人なら、悪くならないだろう。自分の考え方に一番近い」という人を選ぶ仕組みなのです。

つまり「理想の候補者を選ぶ仕組み」ではなく、「一番マシな人を選ぶ仕組み」なのです。

繰り返しになりますが、民主主義は完璧な制度ではありません。
そうした完璧でない制度の中で、自分の意思表示をするのが、選挙です。

白紙投票は、少し厳しい言い方をすると「意志決定から逃げている」ことになります。

 

ということで、7月20日の参議院選挙には、ぜひ自分が一番賛同できる議員や政党を選び抜いて、投票しましょう。

一人一人の力は確かに微力ですが、ゼロではありません。そうした微力な力をマスの力に変えて、世の中をよりよい方向に変えていくのが選挙という仕組みなのです。

そうしたあなたの行動が、必ず日本によりよい未来をもたらすはずです。


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