機能が同じApple Watch Hermèsが、10万円高い理由

Appleのサイトより

いまのApple Watchを使い始めて5年ほど経過し、バッテリーの消耗が激しくなったので、最新型に買い替えました。ベルトも一新。実に快適です。

このApple Watchを買う時のこと。アップルのサイトで以前からあったApple Watch Hermèsに気がつき、急に気になり始めました。

(自分が買った普通のApple Watchと何が違うんだろう?)

調べてみたところ、機能自体は同じ。主な違いは、”Hermès”と書かれた文字盤デザインが使えるか否か。確かにHermès独自のデザインは秀逸です。Hermès専用のレザーストラップも使えます。

ただ私から見ると、普通のApple Watchのバンドも、品質的に見劣りしているように見えません。それでもApple Watch Hermèsを買う人は、10万円以上も高い価格を払っているのです。

「エルメスって特別なブランドだから、エルメスのロゴがあるかどうかで価格が跳ね上がるのは、当たり前だよ」

こう思いがちですが、マーケティング視点で考察すると、これは実に興味深い題材なのです。

フランスの思想家ボードリヤールは1970年刊行の著書『消費社会の神話と構造』で、消費社会では、「商品という記号」を消費することで差異化を図る、というルールが社会を統合していると述べています。未開社会が宗教的な儀式で社会を統合したのと同じ仕組みです。(*1)

つまりApple Watch Hermèsを買う人は、Hermesのマークが「私のApple Watchは、普通のApple Watchとはちょっと違うよ」というように相手と差異化する記号だと考えているから、買うのです。

これをブランド論的に分析するとどうなるのでしょうか?

「ブランド論の父」と称されるデービッド・アーカーは、1985年に「ブランド・エクイティ」という考え方を提唱しました。

その前までは、「ブランドは看板だから、広告代理店に外注すればいい」と思われていました。

そこへアーカーは「ブランドは、商品や人材と同じ企業の資産だから、ブランド戦略を考えるべきだ」として、ブランド・エクイティを…

ブランド・エクイティ = 良い評判を生む資産 − 悪い評判を生む負債

とした上で、その構成要素を次のように分解したのです。(*2)

・ブランド認知 「○○、知ってるよ」
・知覚品質 「○○って、いいよね」
・ブランド連想 「これをやるなら、○○だね」
・ブランドロイヤルティ「○○を、ずっと使い続けたい」
・その他の専有資産 知的所有権やパテント

そしてブランド・エクイティを築く「便益」として、4つを上げています。(*3)

【機能的便益】
Apple Watch Hermèsは、機能的便益は普通のApple Watchと同じです。これはブランド論的にはとても重要です。強いブランドは、必ずしも機能的便益が強いわけではないのです。

【情緒的便益】
Apple Watch Hermèsは、Hermèsのレザーを使い、Hermèsの世界観に触れている感覚で、気分が上がります。「自分のApple Watchは、他の人のApple Watchとちょっと違う」というように「差異化」できます。

【自己表現的便益】
一見するだけでは、Apple Watch Hermèsは普通のApple Watchと同じに見えますが、わかる人にはわかります。そうした違いがわかる人になれます。

【社会的便益】
そういった 違いがある時計を選ぶ人同士で、連帯感が生まれます。

さらに強いブランド・エクイティを築く上で必要なのが、これらの便益に加えて「独自性」です。(*4)

Apple Watch Hermèsの「独自性」は、文字盤にあるHermèsのロゴと、Hermèsのデザインのバンドに見えます。

ただ文字盤のHermesのロゴは、単なる「文字盤」ではありません。Hermèsが築き上げてきた過去100年分の意味が、この文字盤のロゴに圧縮されているのです。このHermèsのクラフツマンシップは代替不可能であり、Appleだけではできない「Hermèsならでは」の独自性です。だから、この価値を評価する人にとって、+10万円以上の価値があるわけです。

つまり重要なのは、Hermèsのロゴではなく、その背後にある長年積み重ねてきた実績であり、意味です。10万円の差は、その実績+意味に対して払われているのです。

ちなみに、Hermès Apple Watchのチャネル戦略も、実に興味深いものがあります。

Hermès Apple Watchは、エルメスの店舗とアップルストアで売られています。これは実はすごいことなのです。

エルメスは、直営店舗以外でHermèsロゴの香水を売ることもありましたが、直営店舗以外での販売を公に明言してきませんでした。

直営店舗以外でも売ることをエルメスが初めて明言し、かつ可視化されたのが、Hermès Apple Watchなのです。

エルメスのCEOも「Hermès Apple Watchは新たな顧客を店舗に引き寄せた」とインタビューで語っています。(*5)

エルメスにとって新規顧客を獲得する上で、Hermès Apple Watchが重要な打ち手であったことが、ここからわかります。

HermèsもAppleも、お互いに「代替不可能な独自性」を持っています。この独自性を高い次元で融合したのが、Hermès Apple Watchなのですね。

かく言う私は、Hermès Apple Watchではなく、普通のApple Watchを買ったわけです。

「心を動かされなかった」と言えばウソになりますが、考えてみると私は、Apple Watchでいつも使っている文字盤が決まっているので、Hermèsのロゴを出すスペースがありません。

どうも私は、「機能的便益」だけで選んでしまうようです。

 

【参考文献】
*1 … 『消費社会の神話と構造』(ボードリヤール著)
*2 … 『ブランド・エクイティ戦略』(デービッド・A・アーカー著)
*3 … 『ブランド論』(デービッド・A・アーカー著)
*4 … 『ブランディングの誤解』(西口一希著)
*5 … “Hermès CEO On the Future of Luxury” (AFAR) https://www.afar.com/magazine/hermes-ceo-on-the-future-of-luxury (2025.12.27閲覧)

 
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