先日のエントリー「戦争の悪夢を伝える義務」に書きましたように、私は戦争体験者ではありませんが、第二次世界大戦のことは、自分で学びました。
今日はその中で、日本が現実に行っていた「特攻」について、その一面をご紹介したいと思います。
太平洋戦争末期の1944年、敗色濃厚の日本では、神風特別攻撃隊、通称「特攻隊」が組織されました。
敵艦船が日本に迫ってくる。
かと言っても、既に敵艦船を攻撃する攻撃機はない。
それならば速度が速い戦闘機に、250Kgの爆弾を積んで、直接敵艦船に体当たり攻撃を敢行させ、敵艦船にダメージを与えよう。
当初はそのような考えで、組織的に行われたものです。
体当たり攻撃ですので、搭乗員は戦死を前提に、飛行場を飛び立ちます。
そして1945年、日本は「桜花」という、世界で唯一、量産・実用化された航空特攻兵器を投入します。
これは大型爆弾にロケットを付けて、人が搭乗する航空機です。
自力では離陸できないので、一式陸上攻撃機(一式陸攻)という爆撃機を母機とし、目標付近まで母機に運ばれて切り離され、ロケットに点火し、搭乗員が操縦して体当たりします。
しかしもともと最大爆弾搭載量800kgを想定している一式陸攻。
2.3トン弱の桜花を搭載すると巡航最高速度は300km/h以下になったと言われます。
これを迎撃する米国海軍のグラマンF6Fは最高速度600km/h。
しかも米軍は、桜花の後続距離37Kmよりもはるか遠方からレーダーで接近を探知していました。
攻撃された一式陸攻は、まさに止っている標的。
ライターのように火を噴き、桜花もろとも撃墜されることが多かったようです。
松本零士の「ザ・コクピット」というアニメ作品シリーズの傑作「音速雷撃隊」で、桜花の搭乗員と、それを敵艦船近くまで運ぶ一式陸攻の様子が描かれています。
この動画の最後に、「戦史に、桜花による米空母撃沈の記録は無い。」と出てきます。
桜花は一式陸攻ごとその多くが撃墜されてしまい、ほとんど戦果は上げられませんでした。
例えば、1945年3月21日の九州沖航空戦では、桜花実戦部隊として初出撃。
この部隊は米国海軍艦船のレーダーで捕捉され、米国海軍艦隊の遥か手前でF6F戦闘機28機が迎撃。
護衛戦闘機は自分たちを守るのに精一杯。
丸裸となった一式陸攻隊は次々と被弾墜落。
桜花を積んでいた陸攻隊は、わずか20分で18機全機撃墜されました。
一式陸攻の搭乗員も含め、150名以上が戦死しました。
そもそも、戦果を挙げられる見込みもなく、それでも特攻することに意味を見出していたこの時代。
目的を実現できないことは自明なのにも関わらず、手段に意味を見出さざるを得ない、この状況。
見ていて、胸が締め付けられるような思いです。
ちなみに日本海軍は、1945年末期に予想された本土決戦のために桜花は強力な兵器と考え、陸上基地からカタパルトで発進させるタイプも開発し、大量配備を図ろうとしていました。
わずか65年前、この同じ日本で現実に起こった出来事です。