昨年6月に出版した「100円のコーラを1000円で売る方法3」のテーマは、「イノベーションのジレンマ」でした。
本書では、グローバル企業参入によって起こるイノベーションでコモディティ化する会計ソフト市場を物語として描きました。
また「イノベーションのジレンマ」の例として、トランジスタラジオと真空管ラジオの話を紹介しました。
実は私たちが何気なく飲んでいる缶コーヒーも、まさにこの「イノベーションのジレンマ」を体現したものです。
缶コーヒーは1969年に日本で生まれました。UCC上島珈琲の創業者・上島忠雄さんのある体験がきっかけでした。
1968年、UCC上島珈琲は売上数十億円規模の中小企業でした。創業者の上島さんは全国を忙しく飛び歩いていました。
ある日、上島さんは列車の出発前にビン入りのミルクコーヒー(いわゆる「コーヒー牛乳」)を飲んで休憩していました。そこで発車ベルが鳴り、飲みかけのビンをやむなく売店に返却し、電車に飛び乗りました。
この様子について詳しく書いている「歴史群像シリーズ 77 実録創業者列伝 II」 (学習研究社、2005年)からご紹介します。
—(以下、p.144より引用)—
「ああ、なんてもったいないことをしてしまったのか」−米一粒を大事にするような農家に育った忠雄は、「飲み残したコーヒー」のことがなかなか念頭を去らなかった。そしてひらめいたのである——コーヒーを缶入りにしたらどうだろう。いつでもどこでも飲めるではないか!、—と。….忠雄はこのアイデアを実行すべく、すぐに社員に缶コーヒーの開発を命じた。
—(以上、引用)—
しかし開発は困難を極めました。
—(以下、引用)—
ミルクとコーヒーが分離してどうしてもミルクが浮いてしまう。殺菌処理のため風味が悪くなる。缶の鉄イオンがコーヒー成分のタンニンと結合して真っ黒になってしまう。…失敗続きで費用ばかりが嵩んでいく。
—(以上、引用)—
困難を乗り越えて1969年、世界初の缶コーヒーがついに完成。
しかしこの画期的新商品に対して『缶コーヒーは邪道』と一蹴されてしまいます。そんな中、UCC社員は全社一丸となって営業に奔走します。
1年後の1970年、大きな転機がやってきました。
—(以下、引用)—
願ってもない機会がやってきた。日本万国博覧会である。忠雄はこのチャンスを逃さなかった。猛烈なセールスの結果、日本のパビリオン・売店で80%、海外パビリオンに至っては100%、UCCのコーヒーを納入させたのである。
万博という檜舞台で缶コーヒーは目覚ましい売れ行きを見せる。
—(以上、引用)—
万博での成功により缶コーヒーは社会に認知され、1970年代に大発展していきます。
缶コーヒーは登場当初は「こんなのは邪道」と言われていましたが、「どこでも飲める」という新しい価値を生みだしたことで、「どこでも飲みたい」という新しい顧客を創造し、徐々に品質を改善し、大きな市場に育ちました。
その一方で、コーヒー牛乳は市場から徐々に消えていきました。
1950年代にトランジスタラジオが登場した当初も、真空管ラジオと比較して音質が悪く「こんなのオモチャ」と言われていました。
一方で若者は、当時流行のエルビス・プレスリーが大好きでしたが、両親は「ロックは不良の音楽」として聴くのを許しませんでした。真空管ラジオは両親がいる自宅の居間にあるので、エルビスの歌は聴けなかったのですね。
そこで若者は、「どこでも聴ける」というトランジスタラジオに新しい価値を見いだし、こぞって買い、野外や自分の部屋で聴きました。
トランジスタラジオは新しい顧客を生みだし、市場は育っていきました。そして音質は徐々に改善されていきました。
その一方で、真空管ラジオは徐々に消えていきました。
缶コーヒーはトランジスタラジオと同様、まさにクレイトン・クリステンセンが提示した「イノベーションのジレンマ」そのものです。
では、缶コーヒーはどのくらいのビジネスを生み出したのでしょうか?
これについては、「グッとくるコーヒー」(徳間書店、2013年)に書かれています。
—(以下、p.47から引用)—
万博翌年の昭和46年(1971年)、UCCの売上高は前年と比べて2倍以上の100億円を突破。缶コーヒーの大ヒットがこの巨大な数字に貢献したのは言うまでもない。…いまや缶コーヒーの市場規模は8000億円を超えている。
—(以上、引用)—
まったくゼロの状態から、なんと日本国内8000億円の大市場に育ったのです。
イノベーションを実現するのは簡単でなく、困難を極めます。
しかし一方で、イノベーションのビジネス上の威力も、凄まじいものがあります。
クリステンセンのイノベーションの理論の中の無消費だったかな。
単に「イノベーションのジレンマ」というと読んでない人には、別の意味にもとれるし、逆にわかりにくいかも?
味や香りが劣っていて、既存のコーヒー好きにとっては劣化版商品でしかないものだが
それまでコーヒーが飲めなかったところで、飲めるようになったので、既存のコーヒーと競合せずに新たな市場を作ることが可能だったということですね。