自己犠牲で良い物を安く提供。それは「美談」か?


お菓子

先日テレビ番組で、ある菓子店が紹介されていました。メーカーのエンジニアをしていた方が一念発起し、独立して開店した、単品のお菓子を売る店です。

この方は、「美味しいお菓子を、お客さんが負担なく買えるように、1個200円以下で売りたい」と考えました。市価の半額程度です。

美味しいお菓子を作るためにレシピを考え抜き、沢山の数を作っては試行錯誤を重ね、腕を磨きました。さらにコストを削るために、店舗は駅から遠い物件を借り、人は雇わずに朝から1人で作り続け、包装の無駄も徹底して省きました。

そして1個180円、1日200個限定で夕方から販売開始。美味しい上に安いので、不便な場所にあるにも関わらず、開店前からお客さんが行列して10個単位で購入。開店後わずか1-2時間で売り切れです。出遅れたお客さんは「えー、もう品切れなの?」 残念そうです。

一方で徹底コスト削減しているものの、この店だけでは生活費は十分に賄えない状態です。そこで週2回、別のバイトで生計の足しにしています。曰く、「売上や規模は追いたくない。お菓子作り、バイト、自分にとっては両方とも大切なものだから」

番組キャスターは「いい話だ。生き様を見た。ジーンと来た」と感動していました。

 

皆さんはこの話、「自己犠牲で安くて良い物を提供か。美談だなぁ」と思いますでしょうか?

色々な価値観や見方があると思います。しかし率直に申し上げて、私は「美談」とは感じられませんでした。

 

この美味しいお菓子を作ることができるのは、この人だけです。朝から1人で200個作り、180円で提供しているのは、素晴らしいこと。しかし儲かりません。

180円のお菓子が200個売れているのですから、1日の売上は3万6千円。週2回は他のバイトなので、1ヶ月20日営業として月間売上はおそらく72万円。材料費・人件費・賃料は不明ですが、生計のためバイトする必要があるので、おそらく自分の人件費も利益もギリギリなのでしょう。

確かにバイトの仕事も大切です。しかしそのバイトは、この人以外でもできる人はいるでしょう。そしてこの人がバイトをしている間、その美味しいお菓子は作れませんから、お菓子を待つお客さんに価値を提供できません。

一見、自己犠牲を払いお客さんに安く提供すべく献身的に奉仕しているように見えます。しかしあえて厳しい言い方をすれば、「いいものを安く提供している」という状況に自己満足しているように思えてならないのです。

「生計を立てるために週2回バイトをする」というこのやり方で、本当に継続性あるお菓子作りができるかも、疑問です。

 

この方は「人は雇いたくないし、売上や規模は追いたくない」とおっしゃっています。そのお考えを理解した上で、より多く売ることを考えてみます。

たとえばスタッフ増強で、毎日180円のお菓子を500個作って売ると、1日の売上は9万円。バイトを止めて週1回休みで1ヶ月25日営業として、月売上225万円。売上3倍で、提供できるお菓子の数も3倍です。繁華街で賃料が上がる物件を借りてより多くのお客さんに美味しいお菓子を提供できるし、増強したスタッフを雇う余裕が出ます。さらにお金に余裕ができ、同じ価格でもっと美味しい菓子を作れる可能性もあります。何よりもご自身がバイトで生計を立てる必要もなくなります。

人により、価値観は様々です。「良い物を安く提供したい。でも人を雇わず1人でやりたい。より多くより大きくという発想はしたくないし、売上や規模は追いかけたくない」と考えるのは、あくまで個人の自由。

しかし一方で、「良い物を安く(でも儲からない)」という「ものづくり発想」から、「お客さんを幸せにする(なおかつ儲ける)」という「マーケティング発想」に切り替えれば、より多くのお客様に幸せを、継続的に提供できます。

適度な儲けは悪ではなく、ビジネスを継続させ、お客さんにさらに価値をお届けして幸せにするための手段です。

 

そのためにも、マーケティング発想が浸透すれば、日本はもっと楽しく、よい社会になるのではないかと、改めて思いました。

 

 

■当コラムを、毎週メルマガでお届けしています。ご登録はこちらへ。