私の失敗体験 – 製品開発編


 

「マーケティング専門家」ですが、実は私、理系です。

小学生の頃から理科の時間が大好きで、自然と大学も理科系に。社会人になって日本IBMに新卒入社し、製品開発部門の所属になりました。

「いい商品を作りたい!」

いつもこう思っていました。当初は製品開発部門の中でも管理系の仕事で製品開発に関わることができませんでしたが、29歳でやっと希望がかない開発部門に異動、晴れて製品企画担当者になりました。

当初は製品企画という仕事自体がわからず、四苦八苦していましたが、ある日、事業部の将来をかけた商品を開発することになり、その製品企画担当者に任命されました。責任重大です。

ちょうど市場が立ち上がり始め、ユーザーの導入検討も始まったばかりの製品分野です。市場に関するあらゆる情報をかき集め、徹底的に調査・分析しました。さらに先行ライバル製品のことも詳細に調べ上げました。

そして製品開発グループと話し合い、機能的にライバルとまったく遜色がない製品に仕上げました。機能表で〇×をつけると、自社の商品が勝つ状況になりました。さらにライバルと比べてお買い得な価格設定にしました。加えて大切な顧客データの保護機能も、業界に先駆けて最高レベルにしました。

開発中の製品を営業に説明すると、営業からは「これなら売れる!ぜひお客さんに提案したい」。引き合いも多かったのです。

 

満を持して商品を発表・出荷しました。

……まったく売れません。
それも、当初の予定よりも2ケタ少ない数字です。

 

アンラッキーな面もありました。製品出荷は1992年年末。バブル崩壊が始まった時期でした。多くの企業が、大規模プロジェクトを見直し始めていました。

商品企画担当者だった私は部門を異動して、製品営業になり、全国を売り歩きました。

この製品のことは、この世の中で私が一番わかっている自負がありますし、熱意も人一倍。お客さんに気合いを入れて製品デモや製品説明しますが、

「興味がない」
「面白いけど時期尚早かな」
「投資ができないんでね。せっかく説明してくれたのに、悪いね」

という反応がほとんどでした。しかしそんな中でも数をこなすことで、採用ユーザーは徐々に増えていきました。

 

そのうちお客様の大規模プロジェクトに入札する機会が何回かありました。お客様担当営業と製品開発部門でチームを組んで応札。その結果、ライバル企業との激しい受注競争の末、案件の多くを受注しました。

2年ほど頑張った結果、売上はなんとか当初予定して数字とケタが合うレベルまで回復しました。

私はこの製品開発のマネージャーを兼任しながら製品営業を続けることになり、開発チームメンバーとともに採用ユーザーのサポートを行うことになりました。

数年をかけて、やっと新製品のビジネスは、軌道に乗り始めました。

 

そんなある日、思いがけないことが起こりました。IBM本社が、この製品の開発中止を決定したのです。

IBMは米国である会社(仮にA社とします)を買収し、「A社製品をIBMの戦略製品とする」と決めたのです。この瞬間、私たちの新製品はA社製品と社内競合製品になりました。IBM全体から見ると二重投資は避けたいわけで、私たちが心血注いで育ててきた新製品はやめることになったのです。

 

私が悔やんでも悔やみきれなかったことがあります。私が企画段階で比較検討していた製品の中に、このA社製品もあったのです。

当時からIBMはA社と世界的に提携しており、A社製品の機能も比較的高かったのです。私はかなり早い時期にA社製品を職場で実際に使ってみて、細かく機能確認をしていました。IBMもA社と緊密な協業関係にあったので、「新製品の開発はやめて、A社製品を日本向けに機能強化する」という選択肢もありました。

しかし職場には、心血を注いで新製品に取り組んでいる数十人の製品開発チームがいます。私は「自分たちの事業部で、製品開発する」ということにこだわりました。A社製品よりも高機能の製品を開発することを製品開発部長に進言。製品開発チームもそれを後押しし、それが事業部方針になりました。

それから数年後、新製品が立ち上がった時期になってIBMはA社を買収して、A社は会社の一事業部になり、A社製品がIBMの戦略商品になった、というわけです。

 

あとから考えると結果論ですが、私が製品企画していた時期に「お客様に価値を提供する」という考え方を徹底していたら、自分たちの事業部で新製品開発はせずに、A社との提携を活かしてA社製品の機能強化を行う方針が正解だったかもしれません。

しかしそうしませんでした。

製品開発の本来の目的である「お客様に価値を提供すること」ではなく、製品開発の手段に過ぎない「製品を開発すること」にこだわってしまったのです。

 

当時「部門の新製品は、開発中止する」と申し渡された時、このことがわかりませんでした。

「なんで一生懸命開発した商品が、中止にさせられたのだろう?」

中止に至った社内事情はわかるものの、理不尽な思いでただ悶々としていました。

「…でも、もしかしたら『いい製品を作る』という考え方だけでは、ダメなのかもしれない…」

入社当初の「いい商品を作りたい!」という考えを変えて、私が製品開発マネージャーからマーケティング職に異動したのは、この直後です。

 

その後マーケティングを学び、業務でマーケティング戦略を立てて、実践してきました。

そしてなぜ新製品開発が失敗したのか、よくわかりました。やはり自分に原因があったのです。

いま振り返れば、当時の私の状況は、世の中で「プロダクトアウト」と呼ばれる状況でした。

商品開発の本来の目的は、「顧客づくり」です。
商品開発の「商品づくり」は手段に過ぎません。

当時の私が陥ってしまったように、手段に過ぎない「商品づくり」が目的にすり替わってしまうのが、「プロダクトアウト」という状況です。この状況になると、なかなか商品は売れません。

 

多くの人たちを巻き込んでしまったこの製品開発プロジェクトの失敗は、自分がマーケティング戦略を考えていく上で貴重な原体験になりました。

「商品づくり」が目的になったプロダクトアウトな考え方ではなく、「顧客づくり」を常に考えた仕事を広めたい。

その思いで、今の仕事をしています。

 

 

 

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