昨日に引き続き、グローバル・コミュニケーションです。
時々、私のブログに「■ ■ ■ ■」の行を入れています。よく見ていただくと分かると思いますが、この行があるエントリーでは、この行が合計3つあります。
実は、「起」「承」「転」「結」に相当するそれぞれの部分の切れ目に、「■ ■ ■ ■」を入れています。これにより若干でも読みやすくなればと、思っています。
議論や交渉で、「起承転結」それぞれの役割を考えると、
起…導入部。問題提起と定義。
承…「起」を受けた分析。またはより深く掘り下げた調査。結論に向かってのアクション。
転…「起承」の流れを離れて、もう少し広い観点で見るとどうなるかの確認。論理の整合性のチェック。
結…「起承転」を受けての結論。
ということになると思います。(尚、私がブログで書いているエントリーは、自由度を持たせるために必ずしもこの流れになっていません。「転」が「承」の一部に入っていたり、「転」の位置に「承」があったりしています)
ただ、米国人にこの起承転結で話すと、「起承」までは受け入れてくれるのですが、「転」の部分に入ると急に分からなくなることが多いように思います。
「起承までのロジックは分かるけれど、何で急に今までのロジックが変わるの?」という戸惑いがあるように感じます。
そこで、論理をより単純化し、「転」を省略して「結」の話をすると、割とすんなり納得してくれます。(但し、先に述べたように「承」の一部に「転」に相当するロジックがあったりするので、単純に「転」を全部カットするわけではありませんが)
つまり、米国人相手に交渉する場合、「起承転結」で話すよりも「起承結」の方が分かりやすい、ということです。
一般的に、日本人は思考のプロセスを全て見せようとし、見る人もそのプロセスが分かると安心して納得するようなところがあります。
これに対して、米国人は、ロジックの整合性とその結果により興味を持ち、そのような結論に至ったプロセスにはあまり興味がないようです。
米国人と交渉する際、このようなことを考慮し、日本のロジックを組み替える必要があります。
尚、これは日本人と米国人の平均値を比較した場合ですので、言うまでもなく「起承転結」の論理を好む米国人も存在します。
現在、米国に大学院留学中のものです。おっしゃるとおりのことを日々感じています。「転」を入れると「スムーズな思考を妨げる」といって理解してもらえないですね。こちらとしてはちょっと気を利かせて「おち」を入れているつもりなのですが、「お前の言うことはわかり難い・・・。」と言われてしまいます。恥ずかしいほどストレートな論を立てることにまだ躊躇しながら四苦八苦している毎日です。
「ハイコンテクスト・ローコンテクスト」、「沈黙」についてもまったく同感です。だからといってこちらの人に合わせようと思っても急には変われませんよね・・・。
ryokさん、米国からのコメント、ありがとうございました。
大学院では、多国籍の方々と様々な議論を行う中で、論理力が磨かれていくのでしょうね。
ところで、
>>「お前の言うことはわかり難い・・・。」
というのは米国人に多く、アジア系留学生の場合は起承転結は結構受け入れられるような気がしますが、いかがでしょうか?ご意見いただければ幸いです。
アジア系留学生、特に中国、台湾の方とは結構話の作り方が似ていると思います。その次に韓国。そこからインド、シンガポールに行くにつれ米国人と似てくるような気がします。といってもそれぞれ数人ずつの少ない経験からなので大いに個人差が反映されていると思いますが・・・。
先日「英語パラグラフ・ライティング講座」(ケリー伊藤 著/研究社発行;そういえば、オルタナティブブログのどなたかが推薦されていたのを見て知ったような。。。)を読んで、最初は非常に戸惑いました。どうしてそんなに自分が戸惑ったのか、もう一つはっきり分かりませんでしたが、起承転結を否定されているからだったんですね。その本は、とにかく日本語の考え方と英語の考え方は違う、という感じで書かれていましたが、場合によっては日本語の文章でも使えるような気がします(論文とか)。ただ、やっぱりその書き方ばかりだと、なんだかつまらない文章になってしまいそうな気がするのは、起承転結の文化が染み付いているからなのかもしれません。
ryokさん、ありがとうございました。
やはり、アジア系の方々は同じ発想なのでしょうね。多神教と一神教の違いかもしれませんね。
ぴぴさん、コメントありがとうございました。
英語は、論理的な考え方をするのにいい言語のようです。今日の日経でも、三菱商事元社長の槙原さんが、同じようなことをおっしゃっていましたネ。
起承転結にしないで起承結にすると、ぴぴさんがおっしゃるように我々からすると当り前に聞こえます。実際、米国人は当り前のことを大切な発見をしたように話すことが多いのも事実です。
当り前のロジックの方が、多様な文化的背景を持つ社会では通じやすいということなのでしょうね。
どちらかというと"結起承結"かな。
学生論文ではそう習う。
↑ですね。「まず結論を言え」
日本語は肯定/否定の言葉が後ろに来ますが(最後まで聞かないと肯定か否定かわからない)、英文だと前に来るという違いもありますね。
例)
「その品が青だったので買いませんでした」
"I didn't buy it because the item was blue."
↑ "it" と "the item" の順が逆ですね^_^;
名無しさん、mohnoさんのご指摘のとおり、最初に結論がないとダメだというのにまったく同感です。そうしないと結論に行き着くまでに相手があきてしまって最後までまじめに話を聞いてくれない・・・ということがあります。さらに言えば、最初の「結」のところで、「わたしはこれこれだと思う。その理由は3つある。一つ目は・・・」という定石どおりの前置きが効果的かと思ってます。あまりにも定石どおりで気恥ずかしいのですが。
名無しさん、mohnoさん、ryokさん、
コメントくださり、ありがとうございました。
皆さんのおっしゃる通りですね。
これは第二次大戦中に、通信がすぐに途絶える状況で電文を打つ際に、途中で切れてもよいように要件から先に伝えたのがきっかけと聞いたことがあります。