『欧米人は、会議の「沈黙の瞬間」をとても嫌う』
現在、受けているグローバル・コミュニケーション研修で、講師である米国人の方がおっしゃっていた、興味深い事実です。
確かに欧米人が過半数の会議では、常に話が継続し、沈黙の時間というものはありません。
一方、日本人の会議では、「間」という沈黙の時間が結構あるように思います。
日本人と欧米人が同席する会議では、この日本人の「間」が、とても欧米人に嫌われるようです。
日本人の会議の「沈黙の時間」は、何が起こっているのでしょうか?
田坂広志さんが著書「なぜマネジメントが壁に突き当たるのか―成長するマネジャー12の心得」でこのことを書かれています。
–(以下、引用)—–
昔から、「沈黙は金」という言葉があります。
皆さんは、会議などにおいて、この「沈黙は金」とも呼ぶべき瞬間を経験したことはないでしょうか?
例えば、こういう瞬間です。会議において、メンバーでかなり議論を尽くした場面です。そして、議論は尽くしたのですが、これといって決定的な理由がないまま、プロジェクトの方針がある方向に決まろうとするときです。その瞬間、それまで黙っていたマネージャーの田中氏が口を開くことがあります。
「うまく言えないのだが、やはり、この方向ではないような気がする…」
この田中マネージャーの発言で、会議は沈黙します。
しかし、しばしの沈黙の後、誰かがその沈黙を破ることを恐れるように、小さな声で聞きます。
「なぜですか?」
しかし田中マネージャーは、言葉を捜すかのように深く考え込み、言葉を発しようとしません。会議の沈黙は続きます。それでも、誰も田中マネージャーに反論を述べようとはしません。
なぜならば、田中マネージャーは、衆目認める仕事のできるマネージャーだからです。そして、その彼の力量を知っているからこそ、会議のメンバー全員が、その田中氏の「言葉にならない智恵」の大切さを感じているのです。
こうしてしばらく会議が沈黙を続けた後、誰かが思い切って沈黙を破るように言います。「田中さんが、そう感じるなら、きっとそうでしょう…」
そして、この一言で、会議の流れが変わります。
皆さんは、こうした場面を経験したことはないでしょうか?
もしそうした経験があるならば、それは実に大切な経験です。
なぜならば、それは、マネジメントにおいて最も高度な能力が発揮されている瞬間だからです。(中略)
大切な智恵が、言葉ではない「何か」を通じて伝えられる瞬間なのです。
(中略)
このエピソードは、彼の「暗黙知を伝える能力の高さ」を象徴しているのです。
そして、不思議なことに、こうした「沈黙は金」の瞬間を生み出すことのできるマネージャーは、ひとたび口を開けば、極めて説得力のある雄弁な人物であることが多いのです。
こうしたマネージャーは、「沈黙は金」「雄弁は銀」の理(ことわり)を知り、それを使い分けているだけなのです。–(以上、引用)—–
ハイテキスト・コミュニケーションが主体の日本社会では、この「沈黙の時間」が会議の大切な部分として成り立ち得ます。
一方で、多様な文化によって成り立ち、ローコンテキスト・コミュニケーションを主体とした欧米社会では、この「沈黙の時間」は、無駄な時間、というよりもむしろ会議の流れを澱ませる時間として位置付けられる、ということなのではないでしょうか?
恐らく、上記で引用した状況に、文化的な面も含めて暗黙知を共有していない欧米人が同席すると、何が起こっているのか理解できないのではないかと思います。
実際、世界でハイコンテキスト・コミュニケーションの度合いが一番高いのは日本人だそうです。
これが「日本人は理解できない」と言われる所以でしょう。それと同時に、これが日本人同士のコミュニケーションが非常に高度なものである所以でもあると思います。
我々日本人は、このような文化的な違いを認識した上で、コミュニケーション・スタイルを切り替えなければならない、ということなのではないでしょうか?
関連リンク:ロー・コンテキスト社会 & ハイ・コンテキスト社会
朝早いと気持ち良い
温かい祖母の家で始まる1日は、妙に活発になる。
もしかして、私のテーマは「デジタルとアナログの共存」かもしれない。