スポーツライターの浜田昭八さんは、時々日本経済新聞のスポーツ欄に記事を書かれています。いつも鋭い洞察と高い見識を持った記事を書かれていて、私が大好きなライターの一人です。
4月9日の記事「質の高い練習は裏切らない」も、非常によい記事でした。
—(以下、引用)—
球界の金言「練習は裏切らない」を現役時代、三冠王3度のロッテ・落合は黙殺した。「やみくもに練習しても逆効果。そんな練習をするぐらいなら寝ていた方がいい」と言い、自分の練習量が少ないことをよく口にした。
この発言に解説者時代の野村・現楽天監督が首をかしげた。「バットを振って振って振り抜かないと、あのスイングはできない」。人手を煩わさなくとも、考えたバットスイングでこと足りる。三冠王になった自分と同じに、落合もすさまじい量のスイングをこなしているとみたのだ。
—(以上、引用)—
現役時代の落合監督は、深夜に庭で素振りをする音で息子さんが目を覚ました、等、実はかなり練習をしていたそうです。スイングを見てそれが分かった野村監督はさすがですが、誰よりも多い練習量をこなしながら、練習量が少ないことを口にするあたりは、いかにも落合らしいですね。
—(以下、引用)—
中日の監督になった落合は、猛烈な量の練習をナインに求めた。普通なら4勤1休のキャンプだが、中日だけは6勤1休だった。暗くなるまで、特製のネーム入りノックバットを振った。マシン打撃を3時間も続けた若手もいた。
落合が否定したのは、量の多さと苦しみに酔うような練習だった。プロの練習は目的をしっかりと設定した、質の高いものでなければならない。落合ノックにその神髄を見る感じがする。
—(以上、引用)—
プロフェッショナルな野球選手としての落合は、自分自身を律し、あくまで自身を高めるための練習を行っていたのに対して、管理者としての落合は、組織全体を律して目的を設定し成果が出る練習を求めたということですね。
「名選手、必ずしも名監督ならず」とはよく言われますが、落合監督の場合は、選手時代に自分自身で徹底的にやるべきことを追求したからこそ、監督としても同じことを選手に求める環境を作れたということなのではないでしょうか?
つまり、現役時代の落合監督は、決して「天才」なのではなく、質の高い練習の方法を熟知している「秀才」であり、努力の方法を形式知として理解していたのではないかと思われます。
逆に、暗黙知の領域でプレイをしている選手の場合は、なかなか自分と同じ練習方法を選手に伝授することは難しいかもしれません。
世の中の評価は分かれますが、自身が持つカリスマ性でチームを律していた長嶋元監督の場合は、まさにそれが当てはまるのではないでしょうか? (ちなみに、私は長嶋元監督は、この世の中で最もご敬愛申し上げる方の一人ですが)