先月11月の日本経済新聞「私の履歴書」は、三菱重工相談役の西岡喬さんでした。
三菱重工会長まで務められ、日本にインフラを支えた西岡さんの「私の履歴書」は、現在の風潮に流されず、日本の土台を創り上げてきた人ならではの説得力を感じます。
11月29日「努力の歩みが信頼に 勤勉さ阻む風潮に危機感」では、以下のように語っておられます。
—(以下、引用)—-
…が、それら日本人の長所を阻む風潮がある。まず、世論受けを狙った意見がもてはやされる傾向だ。原子力を含むエネルギーや安全保障などでは、どんな政策が必要か長期的観点から議論されなくてはならない。だが万人が認めやすいものや第三者が短時間で考えた意見が尊重される。有識者が出した結論を着実に実行することが望まれる。
—(以上、引用)—
確かにマスコミなどでも、様々な状況をお茶の間(今はお茶の間という概念はなくなっているかもしれませんが)に分かりやすく伝える人や意見をよく取り上げます。
西岡さんが指摘されているのは、決して「分かりやすさがよくない」ということではなく、「世間受けを狙うあまり、現実を知らずに安易に語ってはいけないし、語る場合でも、重要なエッセンスを失ってはいけない」ということなのでしょう。
いわゆる「評論家的意見」ですね。
これはひどくなると、田原総一郎さんが「枝葉末節ばかりのあきれた政治と報道」で書かれたような、末期的な状況になるのでしょう。
—(以下、引用)—-
次に、実務に携わっていない人たちの批評が幅をきかせていること。実務の当事者が一番、改善や改良の仕方を知っている。無意味な批判は彼らのやる気を失わせ、スピードも落としている。
—(以上、引用)—
これは、ご自分に置換えてみると分かるのではないでしょうか?
ビジネスパーソンは、10年なり20年なり続けてきた仕事については、自分が第一人者だとの自負を持っている方が多いと思います。
そのような仕事を、全く別の仕事をしている未経験の人が、少し見ただけで理解できるでしょうか?
多分、断片的な理解に留まり、膨大な全体像は理解できないのではないかと思います。
実務に携わっていない人たちの批評も、同じことなのかもしれません。
このような観点で、ブロガーの責任を考えてみると、新しい視点が見えてくるように思います。
例えば、ここオルタナティブ・ブログでは、私のようなごく普通の会社員の一般ブロガーも、数百人から数千人に情報発信できます。
無償での活動とは言え、世間への情報伝達という観点では、大きな責任が伴っています。
だからこそ、「世論受けを狙った意見」ではなく、自分がよく分かっている専門分野について、責任を持って書き続けることが必要なのでしょうね。
このような積み重ねが、西岡さんが憂いておられる現在の日本の状況を、少しずつよき方向へと変えていくのではないかと思います。
西岡さんの文章を読んで、改めて身が引き締まる思いがするとともに、ビジネスパーソンとして、自分の専門分野について、責任を持って情報発信していく必要性を再認識いたしました。