模倣はヨクナイ。 では、なぜ「単なる模倣品」は売れないのか?


人類は、先人の学びの上に、新たな学びを積み重ねて発展してきました。

膨大な「過去の学び」の蓄積に、「新たな学び」を上乗せしているわけですね。

たとえてみると、科学技術は「創造的な模倣」により、あたかも山を登るように学びを積み重ねているのです。

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先日のブログでも、知財の専門家の下記の言葉を紹介しました。

「方法・手法に、法律は、著作権を認めませんでした。……それは、私たちの文化を発展させるために、それらは自由に流通させた方が、社会全体のためになると法律が考えているためです……」

これも「創造的な模倣」による社会の進化を狙ってのことと思います。

 

しかし一方で、世の中に出てくる商品やサービスを見ていて、ちょっと残念に思ったり、悲しくなる時があります。

それは「新たな価値」を積み重ねていない、「単なる模倣品」を見る時。

「単なる模倣品」は、名称・外観・機能などで、「ああ、あの商品の模倣だな」とすぐに気がつきます。

 

企業もビジネスですから、先行ライバルの好調さに商機を見つけて、その模倣を図ろうとするお考えも理解できます。

しかし先行企業が考えに考え抜いた結果に世に出した商品に対して、中身が変わり映えせず、形や名前だけを真似した商品を出しても、先行企業を追い抜くのは至難の業です。

 

模倣を図る企業の中には、「これは『単なる模倣品』ではない。ちゃんとこのような新たな価値を追加している。これは『創造的な模倣』である」と主張されるケースもあります。しかし売れないケースが多い。

では、「創造的な模倣」「単なる模倣品」とわけるものは何でしょうか?

 

それは結局、「その新たな価値の差で、顧客が本当に買いたいと思うかどうか」という点なのではないかと思います。

「創造的な模倣」の場合、新たな価値の差だけでも、顧客が買いたくなります。

「単なる模倣品」の場合、企業側が「新たな価値を加えた」と思っていても、顧客にとってその差はほとんど意味がありません。そして顧客は実績がある先行メーカーを選ぶのです。

その結果、「単なる模倣品」では売れないのです。

言い換えれば、山を一歩も上がっていない状態なのです。

 

先行メーカーの中にはこのことがわかっていて、「自社の模倣品が出ることは、むしろ先行メーカーとしての自社の認知度が高まるチャンス」と歓迎するしたたかな企業もあります。

そういう企業は、予め自社の強みを徹底的に考え抜き、他社が簡単に模倣できないように商品を作っています。ですから形だけ模倣しても、追いつけないのです。

言い換えれば、自社の強みを徹底して考え抜いていない場合、他社に模倣されると、あっという間に追い抜かれることもあります。

 

「自社の強み」を常に考え抜き、それを「顧客の価値」と結びつけることが大切なのです。