25年ほど前、20代中頃だった私は、一人で米国に出張しました。
米国の出張では、空港でレンタカーを借りて移動するのが一般的でした。しかしこの時、私のミスで駐車場にスモールライトを付けたまま一晩置いてしまい、レンタカーのバッテリーがあがってしまいました。そのためにホテルからオフィスまでの移動も大変でした。
なんとかオフィスに到着し、米国人の同僚たちに「レンタカーのバッテリーがあがってしまって大変だった。スモールライトを切り忘れた自分のミスだったんだけど」と言ったのですが、皆から意外な反応が返ってきました。
「レンタカー会社が悪い。クレームすべきだ。そもそも一晩でバッテリーがあがるのがおかしい」
同僚たちは皆、紳士的な人たちばかりだったのですが、「日本人とはメンタリティがかなり違う」「これが米国が訴訟社会と言われるゆえんなのか」と実感しました。
実は下記の記事を見て、上記のことを思いだしました。
前期12勝4敗と大活躍してヤンキースに多大な貢献をした田中投手は声明で、「この時期に力になれなくなってしまったことを、ヤンキースの球団関係者、チームメイト、そしてファンの皆さんにお詫びしたい」と真摯に謝罪。
記事はこのように続けています。
—(以下、引用)—
アメリカでは怪我で離脱を余儀なくされた選手が謝ることはまずない。…謝罪は自身の非を認めることにつながるからだ。…
この異例の謝罪に現地ファンは「選手が怪我をしたからといって謝る必要などない」「早く良くなることを祈っている」「Class Act(一流の選手の振舞い)」とSNSや記事のコメント欄で投稿。他球団のファンまでもが「田中はすばらしい投手」「復帰してうちのチームと対戦する日を楽しみにしている」と多くのエールを寄せた。
日本文化についての議論も活性化した。「なぜ謝るのかわからない」と文化の差異に悩むアメリカのファンが問えば、「こうしたことは日本ではよくあること」と日本通のファンが説明した。
中には、「松井秀喜がケガをした時もそうだった」「ブルージェイズの川崎宗則もよく謝るけれど謙虚さのあらわれ」「イチローは人格者」といった日本人メジャーリーガーを称えた声も。日本人や日本の文化を理解し、称賛するやり取りがあちこちで起きた。
—(以上、引用)—-
心理学者であり文化庁長官を務められた河合隼雄さんは、「人は本当に自信がないと謙虚にはなれない」とおっしゃっています。
また、「イノベーションのジレンマ」を書いた米国人のクレイトン・クリステンセン教授も、「自信がないと謙虚になる余裕が生まれない」「傲慢な人は、自信がない」と述べています。
真摯に仕事に挑戦し、ファンであるお客様やともに戦うの同僚のことを真剣に考える田中投手の姿勢が、自然と「申し訳ない」という謝罪の言葉を生んだのでしょう。
米国社会では意外性を感じられながら好意的に受け止められ、日本人にとって当たり前に感じる田中投手のこの言葉は、実は普遍的なものなのかもしれません。
「訴訟社会」と言われながらも、移民で成立してる人工国家・米国は、一方で多様性を尊重する側面も持っています。
田中投手の真摯な言葉に共感し議論が起こる米国を見ていると、米国人が大好きなスポーツ・ベースボールの世界での日本人大リーガーの言動は、日本文化のよさを米国に拡げる契機になるかもしれない、と思いました。
また一方で、米国人の「怪我をしたからといって謝る必要はない」という考え方からも、私たち日本人は学べることは多いと思います。
お互いにお互いの文化を理解し合い、「なぜそう考えるのか?」と思いを巡らし、考え方を尊重し合うことが、人類の成熟と、世界の争いの撲滅に繋がっていくのではないかと思います。