最近思うのは、「ごく自然に、きれいで品がある言葉が使えるようになりたい」ということ。
「上品な言葉遣い」とか、「うわべを飾った言葉」という意味ではありません。
「密やかな悪意や卑屈さを感じさせない言葉」というと、近いでしょうか?
しかしこれが難しいですね。
自分を振り返ってみると、自分の中に何か黒いもの(あるいはエゴ)があり、それが見えていない状態で自覚せずに文章を書く時は、きれいで品がある言葉になっていないことが多いように思います。
「自分が見えていない」というのは、こういう状態を言うのかもしれませんね。
私はここ8年間、ほぼ毎日ブログを書き続けてきたおかげで、文章を公にする場合は何回か見直す習慣がつきました。何か感じるものがある場合は、時間をかけて書いた文章でも、思い切って全文削除することもあります。
しかし自分のエゴがよく見えていれば、そもそもこのようなことも不要ですよね。
子の曰く、吾れ
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、
矩を踰えず。
という言葉があります。
思うままにふるまって、それで道をはずれないようになるまで、まだまだ多くのハードルが控えています。先がかなり遠いようです。
生涯修行ですね。