日銀総裁で迷走する国会


明日任期満了でほぼデッドラインとなっても、明後日からの日銀総裁がまだ決まらず、です。

あの百戦錬磨の国会議員の先生方が、ここまでちゃんとした議論ができないとは….。

先日書いたエントリー『問題は、「ねじれ国会」ではない』では、国会議員の先生方が自己主張するだけで議論が全く出来ていない、ということを申し上げました。

しかし、最近の議論を見ていて、どうもそれだけではないような気がしてきました。

一般に、日本人が論理的な議論ができないか、というと、そんなことはないと思います。

企業の中の議論は、その議論の前提となるビジネスの目的が比較的明確です。従って、例えば「お客様のためにコレをやる」という視点が明確にされている限り、明確な議論を通じて意思決定と実行が可能です。

ただし企業でも、組織全体が病にかかっている場合は別です。

本来はシンプルな目的があるのに、個別の組織毎に様々な目的が派生的に生まれ、個別局所最適に走ってしまい、全体の方向性が見えなくなり、最悪の場合、最後には破綻します。

今の国会も、全く同様に見えます。

本来、「国民の利益と国益のために」議論する国会で、日本国の金融政策をいかにうまく舵取りできる人物を選ぶか、が、目的の筈なのに、党の政争の道具に使われている感があります。

時間はあった筈なのになかなか総裁候補を提示せず、しかも「財務省OBだからダメ」と却下されているのに財務省OBを代替候補として再提案し、「良識を持って判断して欲しい」とする自民党。

出してくる候補に対して、個別の議論をせずに原理原則論に固執し次々と却下する民主党、確かに、バラバラだった民主党は、こと日銀総裁については一枚岩です。

どちらも、国全体の利益を考えず、個別最適に走っているように見えます。

このようにしてみると、今回の問題は、国会議員の先生方の資質の問題というよりも、本来の目的を失ってしまい、組織全体が個別局所最適に走ってしまっている与党と野党の組織の病の問題が大きいように思います。

日本の様々な仕組みが「制度疲労を起こしている」ということは昔から言われていることですが、何らかのきっかけで、ゼロから再構築せざるを得ない時期が来るかもしれない、と思う今日この頃です。

やはり、小泉さんは、自民党を(そして民主党も)本当にぶっ潰すべきだったのかもしれません。