セブン-イレブン 覇者の奥義


1973年、日本で「コンビニエンス・ストア」という7兆円規模の市場を創造し、三十三期連続増収増益を達成したセブン-イレブンの業績は、様々なイノベーションの積み重ねの結果です。

今、田中陽著「セブン-イレブン覇者の奥義」(日本経済新聞社)を読んでいますが、この本ではセブン-イレブンが行ってきた数多くのイノベーションについて、徹底した取材の積み重ねを通じて描き出しています。

創業当時の様子も描かれていますが、この中で外資系企業で働く者にとって心に留めたい逸話があったので、ご紹介します。

1973年、新規事業を検討していたイトーヨーカ堂は、粘り強い交渉の末、米国でセブン-イレブンをフランチャイズ展開しているサウスランド社と提携しました。

日本でセブン-イレブンを展開するためにイトーヨーカ堂から独立した新会社として生まれたヨークセブン(現在のセブン-イレブン・ジャパン)は、早くも会社設立10日後に、コンビニ経営のノウハウを得るために米国のサウスランド社のトレーニングセンターで研修を受けます。

しかし研修で大きな衝撃を受けます。「この研修は日本では役立ちそうもない」

例えば、日本の消費者は鮮度の良い商品を求めますが、サウスランド社が紹介する商品は冷凍食品等の日持ちするものばかり。

また、米国のセブン-イレブンではサンドイッチやハンバーガーが主力商品として販売され、マニュアルにも商品管理について細かく書かれていましたが、日本ではまだマクドナルドが国内一号店を銀座に開店したばかりの時代。サンドイッチも日本人の舌には到底耐えられるものではありませんでした。

しかし、日本市場の大きな可能性をイトーヨーカ堂を通じて知ったサウスランド社は、米国流をそのまま日本市場に持ち込むことが成功の第一歩と考え、日本側に親切にこと細かに教えます。

『この米国流のマニュアルを鵜呑みにしなかったことが、日本でセブン-イレブンをここまで大きくさせた最大の要因かも知れない。』と著者は述べています。

創業者の鈴木敏文氏は「(サンドイッチやハンバーガーは) あんまん、肉まん、すし、おにぎりに変えるべきである」と言い、日本向けに運営手法や商品マニュアルをゼロから作っていきました。これは社内では「あんまん、肉まん事件」として語り継がれているそうです。

また、米国では郊外住宅地に隣接した場所をサウスランド社が決定し、店のデザインも徹底的に標準化したのに対して、日本では「中小小売店との共存共栄、中小店の生産性向上、流通の近代化」という創業理念実現のために、商店街中心の立地戦略を推進し、かつ、パパ・ママ・ストアの店舗資産を活用した、等、基本戦略レベルでも様々な点で日本向けに作り直しています。

以前プロジェクトXで創業時の話が簡単に紹介されていましたが、この本は臨場感たっぷりにこの時のことが詳細に描いています。

「原則に立ち帰り、お客様のことをまず第一に考えて戦略を定め、実行する」というのは、当り前のことですが、様々な制約がある中で、実行し続けるのは大変なことです。

外資系IT企業に勤めるものとして、お客様に対して、「サンドイッチ・ハンバーガー」ではなく、ちゃんと「あんまん、肉まん」をご提案しているか、常に心に留めておきたいですね。

ちなみに、この本の著者である田中さんは私の学生時代の友人です。日本経済新聞社のベテラン記者で、流通業界については日本の第一人者です。