大義名分を持とう


組織の中では、大義名分を持つことが極めて大切です。

例えばITproの「正当性を主張する力」という記事。かなり極端な例ですが、組織の中で自分の主張を通すためのポイントを理解する上で、参考になります。

この記事はナポレオンの例ですが、群雄割拠の戦国時代も大義名分を持っているかどうかが重要でした。織田信長も足利義昭を奉じて上洛を果たし天下布武を推し進めました。

この大義名分、「組織の中で権力等のパワーに意味づけを与えるもの」という考え方もあります。つまり、与えられたパワーを行使する際に、万人が納得する理由付けが大義名分になる、ということです。

逆に、仮に圧倒的なパワーを持っていたとしても、大義名分を失ったパワーは、最終的に力を失うことが多いように思います。例えば、圧倒的な戦力を持っていても大義名分を失った戦争が泥沼化しているのは、皆さんよくご存知と思います。

一方で、パワーを持たない大義名分というものはありえるのでしょうか?

この場合、パワーをどのように捉えるかで、考え方は変わってくると思います。

例えば、「非暴力・不服従」を標榜したマハトマ・ガンジーは「戦力」というパワーは持っていませんでしたが、「民衆からのサポート」という圧倒的なパワーを持ち、インドの独立を勝ち取りました。

このように考えると、仮に現時点でパワーを持っていなくても、自分が目標を実現する大義名分を持つことで、自ずから人々というパワーが集まってくる、とも言えるかもしれません。

ところで、「大義名分」と言うと、中には「キレイゴトや建前ではないか?」と思われる方がおられるかもしれません。

しかし、ここで言う「大義名分」とは、自分の信条から発する世の中への思いです。

ガンジーはキレイゴトで「非暴力・不服従」を唱えたのではなく、信念に基いて唱えたからこそ、民衆が集まったのです。

そもそも、建前やキレイゴトが通るほど、世の中は甘くはありません。「大義名分」を通すには、「大義名分」と「本音」を一致させること、言い換えれば「言行一致」が必要です。

さらに、それを実行するための実力も養う必要があります。

会社も組織の一つの形態ですが、我々も常に自分自身の大義名分を持ち続け、かつそれを実現するための実力も蓄えつつ、仕事を行いたいものですね。

一方で、現実はなかなか大義名分を通せるほど甘くはないのが現実です。

「あなたの言うことは全くその通りですけど、現実は違うのです」という言葉は何度も耳にするでしょう。

それでも大義名分を持ち続けられるか、それとも、大義名分を捨てて現実に合わせるかは、大きな分岐点ですね。

現実に合わせる事が、場合によっては必ずしも間違いではありません。しかし、常に大義名分の火を心の中に灯していたいものです。