ペルソナとコミュニケーション


いきなり、今までよく知っていたつもりの人が、いきなり全く別の顔を見せる場面に出くわして、びっくりした経験を持つ方は、多いのではないでしょうか?

何故、このようなことが起こるのか、自分なりに考えてみました。(なお、私は心理学の専門家ではありませんので、その点はご容赦を)

縦軸に「自分が知っている自分」と「自分が知らない自分」
横軸に「他人は知っている自分」と「他人は知らない自分」

を取って、マトリックスを書くと、

その1:「自分は知っていて、他人も知っている、自分」
その2:「自分は知っているけど、他人は知らない、自分」
その3:「自分は知らないけど、他人は知っている、自分」
その4:「自分も知らず、他人も知らない、自分」

という4つのマス目が出来ます。

それぞれについて考えてみると、

その1:「自分は知っていて、他人も知っている、自分」

通常のコミュニケーションはこれがベースになっています。特にビジネスの世界では、「自分で自分のことが分かっていて、自分をコントロールしながらコミュニケーションできる人」が求められます。

その2:「自分は知っているけど、他人は知らない、自分」

これはペルソナ(仮面)の世界ですね。人は多かれ少なかれペルソナを被っています。

この世界の表出をあえて抑えている場合もあり、その多くはエゴの世界です。しかし人間はどうしてもこのエゴを持っていますので、この世界は否定すべきではないでしょう。

田坂広志さんが語っている以下の言葉は、参考になります。

—(以下、引用)—
自分のこころの深くにある「エゴ」を見つめることです。
他人より劣っている自分を認めたくない「劣等感」や、
他人によって自分が傷つけられることを恐れる「恐怖感」を見つめることです。

もし、それらを静かに見つめることができるならば、
何かが救われるでしょう。
すでに述べたように、人間の「エゴ」を消し去ることはできません。
—(以上、引用)—

このペルソナがある時期に自分の制御から外れて、いきなり表出してしまうと、「あれ、この人はこんな人だったんだ!」と驚いたりする訳ですね。

その3:「自分は知らないけど、他人は知っている、自分」

これはそもそもペルソナを被れない部分です。これは出来る限り少なくしていきたいですね。

でも、私も家族から思わぬことを指摘されて、「あ、気が付かずに自分はそんなことをやっていたのか!」と思うことがよくあります。結構恥ずかしいですし、なかなか難しいものです。

これがコミュニケーションで突然表出したりすると、その2と同じ現象に見える場合があります。違いは、その2は本人が気が付いているのに対し、その3は気がついていない、という点ですね。

その4:「自分も知らず、他人も知らない、自分」

これはなかなか表に出てきません。しかしこの世界が広い人は、逆に暗黙知豊かで、結構懐が深く見えるような気がします。

 

ネットでのコミュニケーションが普通になった今、コミュニケーションのトラブルを避けるためにも、このペルソナが果たす役割は増えているように思います。

追記(2007/1/24 6:09AM):ばんちょ~さんのご指摘によると、これは「ジョハリの窓」と言うそうです。詳しくはこちら

ペルソナとコミュニケーション」への6件のフィードバック

  1. ばんちょ~さん、
    そうか、「ジョハリの窓」って言うんですね。
    そう言えば、昔このような区分けを聞いたことがありましたが、多分忘却していたのでしょう。
    本文の最後にコメントで書くことにします。ご指摘ありがとうございました。
    考えてみると、ばんちょ~さんのように、酔っ払って「盲目の窓」をさらけ出してしまったことは、私も特に学生時代には多々ありました。
    あ、ばんちょ~さんはそんなこと、なかったのですね。失礼致しました。(^^;

  2. わたしも同じようなマトリックスを描き、1/15のブログに掲載しました。テーマは「短所を伸ばそう!」ですから、若干、趣旨が異なりますが。これを「ジョハリの窓」というのを知りませんでした。数年前に某所でこれを話しましたが、だれも指摘してくれなかったナー。またひとつ勉強になりました。永井さんと同様に、わたしの本文の最後にコメントで、出所先を載せることにします。

  3. 清兵衛さん、
    コメントありがとうございました。
    既に清兵衛さんも書かれていたのですね。お恥ずかしいことに知りませんでした。
    田坂先生のメッセージ、いい言葉ですね。

  4. ボクが「自分も知らず、他人も知らない自分」という一文で、最初に連想したのは“多重人格の場合の自分”です。分離した自我って考えてしまったので、‘怖い’と単純に想ってしまったのですが、普通に考えても日常生活の中に「盲目の窓」はあるのですね。少し安心したような…

  5. Majyokkoさん、
    確かに多重人格もそうですね。
    多重人格の場合は、幼児の頃に虐待を受けてその逃避のために自我を分離したりすることで生まれ、本人には全く意識されない、と聞いたことがあります。
    自分の「盲目の窓」も見てみたいものですが、気が付いた時点で「盲目の窓」ではなくなるってことかもしれませんね。)

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