【内容修正】 懐かしい日本の原風景と、赤とんぼ


**** 8/7のエントリーですが、一部に不適切な部分がありましたので、一旦削除の上、再掲しています。詳しくはこちらをご覧下さい ****

今朝の通勤電車で見た車内広告です。

昭和30年代初期の頃を描いたと思われる素朴な絵で、店にある白黒の街頭テレビに、浴衣姿の子供達が集まってテレビを熱心に見ています。

絵に重なって、次のメッセージが書かれています。

「気がつけば、大きなテレビをひとりで見る国になっていた」

これは、介護付高齢者住宅 ヒルデモアの電車内広告です。

ヒルデモアの広告は、古きよき日本を描いた素朴で懐かしい絵と、その頃を現代の視点で思い出すメッセージが重なっていて、いつもジーンときます。

マーケティング的に言うと、ターゲットセグメントとして、恐らく高齢者住宅への入居を考えている50代後半から60代を対象としているのでしょうね。

ちなみに、私はまだ40代で高齢者住宅を検討すること自体まだまだ当分先ですが、この広告シリーズはいつも気になっています。ううむ、ターゲットに引っ掛かってしまっているのですね。

20代や30代前半の方がこの広告を見てどう思うか、興味あるところではあります。

ところで、この広告を見て、童謡の「赤とんぼ」を思い出しました。

山田耕筰作曲 三木露風作詞「赤とんぼ」の歌詞、恐らく日本人の誰でも知っていると思いますが、我々の年代でその歌詞の意味をご存知の方はどれだけいらっしゃるでしょうか?

 

(2007/8/10修正:まだ著作権が有効であるため、歌詞を削除しました)

 

素晴らしい詩なので、敢えて説明も不要かもしれませんが、少しだけ解説です。

 

1.「おわれて」は「追われて」ではなく、「背負われて」という意味。「自分が赤ちゃんの頃、家族に背負われて赤とんぼを見たのはいつだったか?」という意味ですね。

2.これも子供の頃の思い出。「桑の実を小籠に摘んだ古い記憶があるが、あれは現実だったのだろうか」という回想です。

3.「姐や」とは、子守娘のことだそうです。色々な解釈があるようですが、こちらの中に紹介されている解釈の一つである「と」解釈を読むと、非常に貧しかった当時の日本の現実に愕然とします。

4.このような思いを込めて改めて赤とんぼを見てみると、色々なことを感じますね。

 

ところで、私の知り合いが介護施設で高齢者向けリトミックを行った時のこと。「あかとんぼ」の合唱を始めた途端に、それまで積極的に参加しなかった何名かが、涙をポロポロ流しながら一緒に合唱したそうです。

大正時代後半に作られたこの歌詞の意味を考えると、懐かしく悲しい思い出が湧き上がってくるということでしょうか?

【内容修正】 懐かしい日本の原風景と、赤とんぼ」への1件のフィードバック

  1. 「赤蜻蛉」の解説につきまして、若干の訂正が必要かと思います。
    1番の歌詞、「おわれて」は確かに「負われて」ですが、誰に背負われたのかということについては、露風自身によれば「幼い自分を背負った姐や(子守娘)」なのだそうです。
    露風の母は、数え7歳(満5歳)のときに家をでてしまい、母のぬくもりを十分に感じられず育ちました。
    それゆえに、思い浮かぶのは、姐やの背中からみた夕暮れの赤とんぼなのかもしれません。
    出典『童謡・唱歌ものがたり』(読売新聞文化部/岩波書店)

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