最近、仕事でもプライベートでも、何か分からないことがあると、すぐにGoogleやYahoo!で検索するようになりました。確かに非常に便利で、答えがネット上にありさえすれば、すぐに見つかります。
一方で、なかなか情報が見つからない場合もありますし、逆に非常に大量の情報が出てきて消化できないこともあります。
また、情報を見つけたことで、安心してしまうこともなきにしもあらず、です。
そんなことを考えていましたら、本日(8/18)の日本経済新聞朝刊の記事「ヒトはどこへ(1)30センチの世界、外出も会話もいらない?」で、与えられた宿題に対して、自分で考えて問題を解くのではなく検索で答えを見つける子供が増殖している、ということが紹介されています。
「ネットに答えがあるし早いもん」というのは、確かに子供たちにとっては正論かもしれませんが、本来は考える力をつけるのが目的です。先生方のご苦労、お察しします。
ところで、考えてみると、マーケティングでも状況は同じであることに気づきました。
マーケティングの仕事でも、ネットの検索機能は市場を理解する上で非常に力になります。
しかしネット経由で得られる情報や紙媒体の市場調査レポートを読んで、「市場を理解した」と考えるのは言うまでもなく早計で、大きな危険が伴います。
知識には大きく分けて「形式知」と「暗黙知」の二種類があります。
文章や図でまとめて表現でき、そのまま伝えることができるのが「形式知」です。ネットや紙媒体の市場レポートで得られるのは「形式知」です。一方で、個人が持っている経験や知識は「暗黙知」と呼ばれます。
ネット上の情報や書物で得られる「形式知」だけでは、決して市場の洞察を得ることはできません。「暗黙知」をどのように自分の中に構築するかが、市場洞察を得るためのカギです。
そのためには、実際に市場に接し、市場調査等の形式知と併せて自分の頭で考え抜くことが大切なのではないでしょうか? 考え抜くことで、自分なりの仮説が構築でき、その仮説を実際のデータで裏付ける(=検証する)ためには何が足りないのかが見えてきます。
その次のステップとして、例えばネットで検索したり市場レポートにあたり、仮説検証を行います。情報が見つからない場合、ある程度のお金をかけて市場調査を行う必要もあるかもしれません。
安易に世の中に出回っている形式知をそのまま使うケース、仮説を立てて検証を行うといった作業を地道に繰り返すケース、当初は一見して違いが見えません。しかし、実際に仕事を進めていくうちに、結果は違ってくるのではないでしょうか?
良く誤解されているのですが、暗黙知というのは、個人の属性知のことではありません。普遍的に内在している言語化され得ない知のことです。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1042.html
こういうページを読むとよくわかると思います。
ゆきちさん、補足説明をいただき、ありがとうございます。ポランニーがさらっと出てくる辺り、さすがですね。
ポランニーの"we can know more than we can tell."という言葉に、暗黙知と形式知のエッセンスが凝縮されていますね。
マーケティングでも野中郁次郎氏のSECIモデルに沿った知識創造が行われていると思います。今回はボリュームの関係上書けませんでしたが、機会があれば書きたいと思います。
使われなくなっていく脳
頭で考えず、まず検索?
この記事を読んで、「自分もそうだな〜」と実感。
最近では調べ物でなく、例えば英単語のスペルが分からないときも、とりあえずググって検索すると、Google が自動的に補正してくれます。
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ラップトップが壊れて感じること
いよいよMPH summer termも大詰め。 Making change t