あなたは、面白い仕事に巡り合うと、俄然やる気が出るタイプでしょうか?
それとも、「お金が出る」と言われると、俄然やる気が出るタイプでしょうか?
これは「動機つけ理論」という研究テーマです。研究成果によると人は後者の傾向が強いそうです。
上記のうち、前者の動機付けは「内発的動機づけ」と呼ばれます。これは、その行動自体から得られる自分自身の満足を得るために活動を行うケースです。….というと難しく聞こえますが、要は「楽しいからやる」ということです。
これに対して、後者は「外発的動機づけ」と呼ばれます。活動そのものと満足の間に固有の結びつきがなく、報酬を得るために活動が遂行されます。これも難しく聞こえますが、要は「報酬目当てでやる」ということです。
人間はどちらの方がより動機つけられるのかを検証するために、1971年、ディシという人が、大学生を対象にある実験を行いました。
大学生を2グループに分け、あるパズルを時間内にある形に作る課題が与えられました。グループAには制限時間内に解き終えると報酬が出ますが、グループBには報酬が出ません。課題終了後は、各グループは自由に何をしてもよいという指示が与えられました。
この自由時間に課題であるパズル解きを行った時間が、内発的動機つけの程度として評価されました。
結果は、グループBの方が、グループAよりも課題終了後にパズル解きを続ける意欲を持ち続けていることが分かり、金銭報酬が内発的動機づけを低下することが確認されました。
"Stop the pay, stop the play."ということですね。
詳細は割愛しますが、1973年にはレッパーが幼児を被験者に実験を行い、同様に報酬を予期するという認知的要因が内発的動機づけを低下させることを示しました。
また1970年代には、ティトマスという人が、アメリカとイギリスで血液の流通制度について調査した結果、ボランティアによる献血が主流のイギリスよりも、売血制度のアメリカで供給されている血液の方が、ヘルペス等の病原体が発見されることが多いことを示し、外発的動機づけが情報非対称性による機会主義的行動を招き、質の低下を招くことを示しています。
また、リーナス・トーバルズも、「それがぼくには楽しかったから」の中で、楽しいことがOSS活動の原動力である、と語っています。
この動機付け理論は、ネット上の利他的行動と深く関係しているように思います。
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これは私自身もこのブログを書いていて感じていることです。
このブログを書くにあたって、原稿料はいただいていませんし、会社から命令されているわけでもありません。つまり、外発的な動機つけはほとんどありません。
では何故続けているか、というと、単に自分の考えをまとめて情報発信することが楽しいからです。特にいただいたコメントを見る時は、ちょっとワクワクします。
写真のHPやメルマガも全く同様で、自分なりの自己表現を皆様に見ていただくのが楽しいから、写真のHPも10年間続けていますし、写真の個展も自腹で数十万円の持ち出しにも関わらず何回も開催しています。
私は決して裕福な人間ではありませんし、金銭的な欲望は人並みにあります。しかし、ことブログや写真活動に関しては、お金をもらうことが目標になってしまうと、確かに意欲が低下してしまい、結果的に内容の品質も低下してしまうような気もします。
これは、他のブロガーも同じなのではないか、と思います。ブログやHPを持っている方々のご意見を伺ってみたいところですね。
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ところで、内発的動機つけは、あくまで個人の内面的なモノだと思います。
企業側で「内発的動機つけ」の仕組みを企業の中に構築しようと考えることは大賛成ですが、このことを逆手に取り「内発的動機つけを与えれば、金銭的待遇は低くてもよいのだ」という操作主義的な考え方が出てくることは、危険なことだと思います。
関連リンク:ネット上の利他的行動を、行動形態と行動目的の観点で、歴史的に位置付ける試み
仰るとおり、情報発信の楽しさ、ですね。
お金が動機付け、は長続きしない、と聞いたことがあります。最初はお金、と思ったものが、やっているうちに「もっと他に、良いお金になることがあるんじゃないだろうか」という邪念のようなものが沸いてくる、ということらしいです。
そうではないところに動機があると、それは長続きするのだと思います。
私も内発的な動機がドライブをかけるので、モチベーションがあがらない時は、仕事がはかどらなくて困ってしまいます( ̄ロ ̄;)。
しかし、売血の方が病原菌が多いというのは、経済的な理由が原因ではないでしょうか?売血で金銭を受取る必要のない献血者の方が衛生的な生活を送っているように思えます。
大木さん、
コメントを下さり、ありがとうございました。
ご指摘の通り、お金が目的になると、よりお金をもらえる方向に行き勝ちですよね。
一方で、そのことそのものが楽しい場合は、その道を究める方向に行動が行われるので、長続きするのだと思います。
mihoさん、
コメントを下さり、ありがとうございました。
売血の話は、まったくおっしゃる通りです。
敢えて付け加えさせていただくと、血液提供者は自分の行動や体の症状を知っていますが、お金を得るために自分の病気を隠してでも売ろうとする可能性があります。一方で提供を受ける側では血液をチェックするためには検査コストがかかってしまうため、血液を提供する側と提供を受ける側では「情報非対称性」が存在します。 一方、ボランティアによる提供では経済的な見返りがないため、病気を持っている人が献血を行う可能性が少ない、という分析のようです。
それに加えて、売血/献血で求められているのは「品質の良い血液」ではなく「品質の悪くない血液」ですよね。病原体で汚染されておらず、栄養失調や売血のしすぎで貧血になっていない、「普通の血液」を求めているだけ。
高品質な血液を求めていて、しかもその高品質な血液を作るのに高度な技術とかなりのコストを要する場合は、相当な対価なしに高品質な血液を得るのは極めて困難になるでしょう。平たく言えば、「安かろう、悪かろう」はあながち間違っていなかったということです。
無償でも献血も検査目的という可能性があり、これを防ぐために、HIVが陽性でも通知をしない事になっているようですね。これも問題だと思いますけれど。
検査の技術があがって来ている事が、救いですね。
貧乏神さん、コメントありがとうございました。
う~ん、実際の血液流通制度については私は全くの門外漢なもので…。よく存じ上げません。ゴメンナサイ。
ノンマネタリーのモチベーションは、マネタリーのモチベーションより強いですよね、確かに。私もmixi日記、ブログともに更新をどんどんしようという気になります。
ただ、ビジネスとしての仕事の場合は、思い切り値切って、しかも支払いを遅らせるクライアントと、ちゃんと期日に十分な対価を支払ってくれるクライアントというのがいた場合、後者に対してよいサービスを提供しようという気持ちが沸きあがってきます・・・
mihoさん、
コメントありがとうございます。
おっしゃるように、確かに検査目的で献血する方もおられるようですね。
HIV感染者に対して知らせるか、知らせないか、というのは、難しい判断だったのではないかと思います。知らせることでHIV感染した血液が増えるリストと、知らせないことでHIV感染者が感染を知らないで生活を続けるリスクがある訳で…。
ここからは想像ですが、恐らくリスクが低い血液を供給するという本来の目的に立ち返った結果、知らせないことにしたのではないでしょうか?
きょこさん、
コメントを下さり、ありがとうございました。
確かに、ビジネスの世界は全く違いますね。
私も、プライベートな活動についてはお金にはあまり執着していませんが(そもそも金銭的なものを期待していないので)、仕事でお金が絡む場合は結構厳しい態度になっているような気がします。
もしかしてジギルとハイド?
医師(特に勤務医)や研究者が、対価対価とは言えないし、言ってはいけないような伝統があるのも、内発的意欲とそれに支えられた使命感や正義感を当てにしているからかもしれませんね。
もっとも、それも良いことばかりじゃないらしく、勤務医の先生や理系の教授連に言わせれば、実質マクドナルドよりも低い時給で働いている勤務医の労働環境や、いつまでたっても常勤になれないポスドクが増加している現状は、(いろんな人や団体が)そういった各個人の自己犠牲に頼りすぎってことになるんですが。
HLさん、コメントいただきありがとうございました。全くおっしゃる通りですね。
自己犠牲が求められる一方で、厳しい労働環境に置かれていて実態は対価も十分でない、という観点では、看護婦・看護士もそうかもしれませんね。
本文にも書きましたように、「内発的動機つけを与えれば、金銭的待遇は低くてもよいのだ」という考え方は、改善する必要があるのではないでしょうか?
そのためには、社会全体で考えていく必要がありますが、「社会全体」と言った途端に「思考停止」に陥る危険性がある訳で….。難しい問題ですね。