私は1962年1月1日、元旦生まれ。今日で四十五歳になりました。
自分が四十代中頃になるというイメージはつい先頃まで実感を持っていなかったので、不思議な気分です。でも、社会人としてはちょうど中頃なのですね。
そのようなことを思いながら、今朝の朝刊を眺めていたら、気に止まった文章がありました。
今日から始まった日本経済新聞「私の履歴書」江崎玲於奈さんの中の一文です。
–(以下、日本経済新聞「私の履歴書」2007/1/1から引用)–
われわれの知的能力は、二元性を持ち、一つはものごとを理解し判断する分別力と、もう一つはアイディアを生み出す創造力がある。さて、われわれは二十歳から七十歳まで活動すると考えると、分別力のほうは二十歳では零であるが、毎年増加し、七十歳で百に達する。一方、創造力の方は逆で、二十歳で百、七十歳になると零になってしまう。その交点は四十五歳、創造力と分別力が拮抗して、いわゆるミドル・エイジ・クライシスを迎える。
しかし、もしこの拮抗する両者の触発が活力の源泉になると、四十五歳前後で大きな仕事ができることになる。実は、私の場合、ノーベル賞が与えられたエサキダイオードは三十二歳の時の仕事であるが、それよりも大きな影響を与えたと思われる半導体超格子の仕事を始めたのは四十四歳の時であった。
–(以上、引用)–
科学者である江崎さんらしい論理の展開で、「なるほど」と言った感じですね。
「七十歳で創造力が零になる」という箇所のみ個人的にちょっと異論があったのですが、よくよく考えてみると、これは「私はそうありたくない」と思っているのですね。マクロ的に見ると正しいのでしょう。
まさに「これから本番じゃないか!」と背中を押されている感じがして、大いに励まされました。
江崎さんに感謝!
誕生日おめでとうございます!
私も「七十歳で創造力が零になる」には文句がありますが(というか永井さんの通り、個体差ですね)、分別とのトレードオフというのは面白いですね。
折り返し後もがんばってくださいねー。楽しみにしています。
Tackさん、ありがとうございます。
Tackさんももうすぐ折り返しでしょうか?
お互い、がんばりましょう。
分別っていうのは使いようなのでしょうね。
永井さんと同じく今年45歳になる小生も、
分別がついてからの創造は、より実現性が
高いものと自分に言い聞かせつつ、がんばっ
ていきたいと思います。
初めまして、永井さん。元旦が誕生日なんですね。そりゃメデタイ♪ おめでとうございます。確かに年を重ねていくのを嫌がる人(女性はなんであんなに気にするんですかね)は世間では沢山いますが、僕は年を取っていくのが結構楽しいんですよね。新しい出会いがありますから。たまにストーカーもどきの方に出会ってしまい、勘弁してくれよと思うこともありますが(笑)逆にこちらが追いかけたくなるような人に出会うことも多々あるわけで。
きれい好きな奥様と素敵なお正月をお過ごしください
永井さん、お誕生日おめでとうございます。なぁに、「40、50ははな垂れ小僧」という言葉があります。大きな枠組みをきっちりと理解したり、全体像を描き出す能力はまだまだこれからだし、エジソンだって最後まで想像力が枯渇することはなかったじゃないですか。その辺のあほ面したガキに、本物の実力を見せてやろうじゃないですか。わっははは。
成迫剛志さん、コメントありがとうございます。
同じ45歳なのですね。
≫分別がついてからの創造は、より実現性が高いものと自分に言い聞かせつつ、
これ、いい言葉ですね。メモさせていただきます。これからもよろしくお願いいたします。
山本真也さん、ありがとうございます。
≫僕は年を取っていくのが結構楽しいんですよね。
これはいいことですね。
限りある時間をできるだけ中身を濃くして過ごしていきたいですね。
≫きれい好きな奥様と素敵なお正月をお過ごしください
ありがとうございます。私一人だと何故か少しずつ家の中が散らかっていくのですが、おかげさまで正月もキレイに過ごさせていただいております。(^^;
とおるさん、何故かいつもとキャラが違うような…。(^^;
でも、おっしゃるとおりですね。連載を見て驚いたのですが、江崎さんも82歳になるそうです。とてもそうとは思えない瑞々しい文章ですね。
ピカソも晩年まで創作活動をしていましたし、あの天才アラーキーも60歳を超えて新境地を開拓していますし、朝比奈隆も90歳過ぎまで素晴らしい指揮をしていました。45歳なんてまだまだハナタレです。私はとおるさんのちょっと後輩ですけど、お互いがんばりましょう。