「自分がやりたいことを早く見つけなきゃダメだよ」
このように、学校に通う子どもや孫に言う親が少なくありません。
素直な子どもだったりすると「ボクはまだ自分が何をやりたいのか全然わからないんだけど、これってダメなのかなぁ」と思って、悩んだりします。
安心してください。
自分がやりたいことなんて、そう簡単に見つかりません。
まして「天職」などを見つけるのは、なかなか難しいものです。
確かに、学生時代に天職を見つける人もいます。これは極めて幸運に恵まれた方でしょう。
「これって面白そうだな」と思って始めたはいいけど、外から見た印象と現実は全く違うことがほとんど。 「何か違う」と思っても軌道修正の連続で、やっと見つかることも少なくありません。
かく言う私が、天職のマーケティングに出会ったのは、36歳でした。
私は新卒で「IT業界は急成長しているし面白そうだ」と思って、IBMに入社しました。
最初は研究開発部門のエンジニアを希望して配属されましたが、適性がないことがわかり、早々に見切りました。
その後、アジア地域の企画職の仕事が空いていたので、「プランナーって面白そうだ」と考えて異動しました。しかし現実の企画職は、地味な管理業務の連続。それでも29歳になるまで6年間続けました。おかげで海外の部門を巻き込んで地味な管理業務を回すのは上手になりました。
「でも、何か違う…」と考え、再び希望して開発部門の製品企画職に異動。
製品企画は楽しいもので「これは天職かもしれない」と思いましたが、最初の頃は、企画した製品がなかなか売れず。どぶ板営業を続けて何とか売れるようになり、担当製品の開発マネジャーにもなりました。
しかし今度は大人の事情で担当した製品は開発中止に。この時、「なんかよくわからないけど、製品開発だけなのも違う気がする…」と思い始めました。この時、私は36歳になっていました。
ちょうどその頃、IBMが経営不振で潰れかかり、外部から新たなIBMのCEOとしてルー・ガースナーが就任しました。
IBMに来て「IBMにはマーケティング専門職がいない」と驚いたガースナーは、昔の同僚であるマーケティングのプロをIBMに招いて、「マーケティング・マネジャー」という職種を新設。社内で人材の募集が始まりました。
当時の私は「マーケティングとセールスって、どう違うの?」みたいな感じだったのですが、直感的に「もしかしたら、これは自分のモヤモヤしている感じを解消できる仕事かもしれない」と考えて、三度目の正直でマーケティング職に異動しました。
最初の2年間はチンプンカンプンでした。しかし次第にマーケティングの面白さが分かり始め、異動して6年後の42歳に日本IBMのCRMソリューションのマーケティング戦略を担当し、大きな成果をあげることができました。
こうして私が天職であるマーケティングに出会ったのは36歳。「これは天職だ」と確信したのは42歳でした。かなり遅いですよね。
その後もマーケティングの仕事を続けて、IBM会社員を続けながら49歳の時に書いた『100円のコーラを1000円で売る方法』がシリーズ60万部になったり、その後、50歳で人材育成部長になって人材育成が第2の天職になったりした後、51歳で独立。マーケティング戦略コンサルタントになり、様々な企業様のご支援を続けながら、今に至っています。
かのフィリップ・コトラーがマーケティングを天職にしたのも、30歳過ぎでした。
20代のコトラーは、経済学が専門でした。
1961年秋、コトラーがノースウエスタン大学経営大学院で教えることになった際に、「経済学とマーケティングのどちらを教えるかを君が決めてくれ」と言われました。当時のコトラーはマーケティングを正式に学んでおらず、経済学の応用分野の一つとしてマーケティングに触れていた程度でした。
この時、コトラーをノースウエスタン大学経営大学院に誘った友人は、「経済学は既に発展した分野だ。独自の理論を生み出せる可能性はマーケティングの方が高いだろう」と言いました。
そこでコトラーはマーケティングを既に研究している教授に話を聞きました。
心理学や広告を研究していたブリット教授は、彼にこう言いました。
「広告をせずに事業を営むのは、暗闇で女の子にウィンクするのに等しい。自分が何をしているか、まわりにはまったく伝わらない」
さらに世界のマーケティング研究の実態も調べました。
2013年12月に日本経済新聞でコトラーが連載していた「私の履歴書」の連載第9回で、コトラーはこう書いています。
『経済学を教えることより、「マーケティング理論や実践の研究に人生を懸ける」のが結論だ。この決断を悔やんだことは一度もない」
当時30歳のコトラーはこうして天職を掴みました。そしてマーケティングの研究を通して、世界に大きな影響を与える様々な仕事を達成。私たちはその成果を学んでいるわけです。
大事なことは、たとえ与えられた仕事であっても、自分自身で納得してその仕事をやりることです。
「この仕事をやりたい」と考えてその仕事についても、実際にやり始めてみると「思っていた仕事と違う」ということもよくあります。
しかしこれは実によくあることです。そんな仕事でも、やり続けて自分のスキルが上がると、別の景色が見えることもあります。だからまずは数年間程度やり続けてみる。その上で「やはり何か違う」と思ったら、軌道修正することです。
そうしているうちに、次第に天職に近づいていくと思います。
そして数年間試行錯誤した経験も決してムダではなく、必ず天職で活きます。
私も、アジア地域の企画職や、製品開発部門での企画・営業・開発マネジャーといった寄り道経験は、いまの仕事でおおいに役立っています。50歳を過ぎて経験した人材育成の仕事は、企業研修という形で第2の天職になっています。
大切なのは、一見寄り道に見える試行錯誤の経験が、自分にとってどんな意味を持つのかを、自分でじっくり考えることだと思います。
ということで、自分の天職を掴むのは、焦る必要はありません。
常に考えながら、じっくり掴んでいきましょう。
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