昨日、横綱・白鵬がついに歴代二位の54連勝。
すごい記録ですね。
ところで、昨日の日本経済新聞に掲載されていた、歴代横綱の連勝記録ランキングを見て、気がついたことがあります。
1位、69連勝の双葉山は、1936年春場所7日目から1939年春場所3日目まで、3年間負けなし。
5位、36連勝はこれも双葉山。1942年夏場所千秋楽から1944年春場所5日目まで、2年間負けなし。
年2場所の時代に連勝記録を作った双葉山は、戦前は3年間、戦中も2年間、負けることがなかったのですね。
「双葉の前に双葉無し、双葉の後に双葉無し」
とも言われ、
「相撲の神様」「昭和の角聖」
とも言われる双葉山、どんな人だったのでしょうか?
Wikipediaによると、実は、双葉山は少年時代のケガで右目が半失明状態で、右手の小指が不自由というハンデを持っていたそうです。
少年時代は元々相撲にあまり興味はなく、学校の成績優秀でしたが、1927年に立浪部屋に入門、同年3月場所初土俵。
当初は成績は4勝2敗が多くあまり目立った力士ではありませんでした。
1931年5月場所には19歳3ヶ月で新十両に昇進。
1935年1月場所で小結昇進するも4勝6敗1分と負け越し。
前頭筆頭に落ちて5月場所も4勝7敗と負け越し。
最初から天才肌だったのではなく、努力の人だったのですね。
1935年蓄膿症の手術をしたのがきっかけで体重が増え、取り口が一変。
1936年5月場所に11戦全勝で初優勝し大関昇進。
1937年1月場所を11戦全勝、
5月場所を13戦全勝で、連続全勝優勝。横綱に推挙され、横綱昇進。
1938年1月場所・5月場所と13戦全勝。
5場所連続全勝優勝を果たし、150年前の谷風の連勝記録63連勝を塗り替えます。
1939年1月場所、前年に満州で行なった巡業でアメーバ赤痢に感染して体重が激減。
体調も最悪でしたが強行出場。
4日目に前頭3枚目安藝ノ海に敗れて連勝ストップ。
双葉山は「木鷄」を目標に相撲道に精進しました。
「木鷄」(もっけい)とは、鍛えられた闘鶏が木彫りの鶏のように静かであるさまを表しています。
実際、70連勝目が実現できず負けた取り組みでも、普段通り一礼をし、まったく表情も変えずに花道を引上げたと伝えられています。
一方で、その日の夜、双葉山は師と仰ぐ安岡正篤に「未だ木鶏たりえず」と打電した、とも伝えられます。
このエピソードからも、双葉山は孤高の求道者であったこともうかがえます。(王貞治選手やイチローとも相通じるものがあったのかもしれません)
幕内通算成績は、31場所で276勝68敗1分33休。
ちなみに、年6場所になった千代の富士の幕内通算成績は、81場所で807勝253敗144休。
今とまったく違う時代に生きた、不世出の横綱だったのですね。