講演が終わり、質疑応答の時間。質問をいただきました。
「永井さんは、『マス市場』をどのように攻めるべきだと思いますか?」
私はこのように答えました。
「『マス市場』というものは、存在しないんですよ」
質問された方は、怪訝そうな顔をしています。そこで私は講演会場にいる皆様に問いかけてみました。
「この部屋には、数十名の方がいらっしゃいますよね」
参加者は、お互いの顔を確認しています。
「皆さん、今回の講演に興味を持たれた、という点では共通です。では、皆さんが商品企画担当者だと想定しましょう。ここにいる人たちへ、どんな商品を企画したら、売れると思いますか?」
ここで私は話しを区切り、皆さんからのお答えを待ちました。
一同、「うーん」と考えられています。しかし、いい答えを思いついた方はおられないようです。
私は続けました。
「ここにいる数十人だけを考えても、皆さん1人1人は違うので、全員が買うような商品を作るのは至難の業ですよね。この数十人を、数百万人から数億人の規模に拡大したのが、『マス市場』です。しかし実際にはその中の一人一人はみな違いますし、多様なニーズを持っています。全員のニーズに応えるのは不可能です。だから『マス市場』は、幻想だと私は思っています」
多くの企業は、10人の顧客がいれば、10人全員の課題に応えようとします。このようにして「マス市場向け」の商品が生まれます。
しかしそのような商品を開発しても差別化はできません。顧客は「うーん、悪くはないんだけど、他にも同じような商品はあるからね」と考え、最後は価格勝負になってしまうのです。
「iPhoneのような、皆が欲しがるマス市場向けの商品があるじゃないか」と思う方もおられるかもしれません。
しかしiPhoneも誕生当初は、多くの専門家が「ボタンがないこんな奇妙な商品は失敗する」と予想していたのです。
確かにスティーブ・ジョブスはiPhone発表時に、「電話を再定義する」と高らかに宣言しました。
しかしその後、Appleが実際にiPhoneでやったことは、ニッチ市場へのターゲッティングです。そしてiPhoneは地道なイノベーションを積み重ね、時間をかけてマス市場向けの商品に成長したのです。最初からマス市場向けの商品として販売されたのではありません。
では、私たちはどうすればいいのか?
「お客様が買う理由」、言い換えれば、リアルな顧客が本当に必要とする「具体的な解決策」を提供することです。
iPhoneも、市場に10人中1人(あるいは100人中1人)しかいない「ぜひ欲しい」という顧客に向き合い、時間をかけて顧客開拓を続けた結果、現在の「スマートフォン市場」を生み出し、世の中を変えたのです。
私が講演や研修で実感することがあります。
企業にいるビジネスパーソンは、この「お客様が買う理由」を作る源泉となる「自社ならではの強み」や「顧客の課題」を、暗黙知として実は経験的によくわかっているということ。
しかし、それらは日々の仕事で当たり前になっているので、なかなか言葉にできず、改めて深く考え掘り起こし、互いに議論する機会がないこと。
そしてほとんどの企業が、それらを活かす方法論を持っていない、ということです。
方法論を学び、時間をかけたワークショップなどを通じてお互いに議論を重ねることで、「当たり前」と思っていて見過ごしていた「自社ならではの強み」や「顧客の課題」に気づき、「お客様が買う理由」を創り上げることができます。
他人から「こう考えたら?」と指摘されている間は、自分で問題解決できません。
自分で気づきを得られれば、その後は他人の助けを得なくても、問題解決できるようになるのです。
他人から指摘されるのではなく、たとえ時間がかかっても、実は自分たちが持っていたモノについて自らが気づくことが大切なのです。
世の中には「マーケティングというと難しそうだ」という一種のアレルギーがあるので、私は「マーケティング」という言葉はなるべく使わないようにしています。
しかし私は著書や、講演や研修を通して、「マーケティング思考」を世の中に定着させたいと常に思っています。
「マス市場」の幻想から脱却して、「マーケティング思考」が定着すれば、企業や個人がより高い価値を生み出せるようになり、よりよい世の中になっていくと思っています。