2016年11月の大統領選挙で、大方の予想を覆し、ドナルド・トランプがヒラリー・クリントンを破って、大統領に選ばれました。
当初は誰もが泡沫候補と思っていたトランプが大統領に選ばれるのは、とても意外なことに思えます。かく言う私も、まさかトランプが大統領に選ばれるとは思いませんでした。
さて市場では、私たちの大多数が、…
「こんなのまがい物だ」
「売れるはずがない。誰が買うんだ?」
…と思っていた商品が、いつの間にか新しい顧客を掴み、大きく成長し、主流製品になることがよくあります。マーケティングの世界ではこのような現象を、「イノベーションのジレンマ」と呼んでいます。
たとえば50−60年前。ラジオの世界では、真空管ラジオが全盛期でした。大きくて重いものの、音質はいいので、米国では居間に置いて家族で聞いていました。
その頃、ソニーはトランジスタラジオを発売しました。小さく軽く、電池で動きますが、音質はよくありません。当時、真空管ラジオを聴いていた誰もが「こんなのオモチャだ。誰が買うんだ?」と思っていました。
しかし知らないところで、トランジスタラジオを買っていた人たちがいたのです。 当時、ロックンロールが大流行。エルビス・プレスリーが大人気で若者の心を掴んでいました。しかし親の世代は「ロックは不良の音楽」と言って、居間の真空管ラジオで聴くのを許しませんでした。そこで若者は、トランジスタラジオを買って家の外で聴き、仲間と一緒にロックを踊っていたのです。
真空管ラジオメーカーにとって、怖いのはその後です。技術は進歩します。トランジスタラジオは性能を急速に向上させて、真空管ラジオに追いつきました。こうなると真空管ラジオは重いだけ。真空管ラジオは、急速にトランジスタラジオに代替されていきました。
かつて真空管ラジオもイノベーションであり、「居間で真空管ラジオを聴く」という顧客を生み出しました。しかしその顧客を大切にするあまり、「外でトランジスタラジオを聴く」という新たな顧客が生み出されていることに気がつかなかったのです。そしていつの間にか破壊的イノベーションであるトランジスタラジオが進化して主流になり、真空管ラジオは主流から外れてしまうのです。
極めて単純化すると、真空管ラジオがヒラリー、トランジスタラジオがトランプと考えると、なぜトランプが当選したのかがわかるのではないかと思います。
ヒラリーは、ビル・クリントンやオバマといった民主党主流派の流れをくみ、「既に米国は偉大だし、これからも偉大であり続ける」と言いました。 「今の米国のままであって欲しい」という人たちは、ヒラリーを支持しました。
一方でトランプは、「米国は弱くなった。仕事がなくなったのは移民のせいだ。メキシコ国境に壁を作り、米国を再び偉大な国にする」と言いました。
ヒラリーを支持する人たちからすると、トランプが言うことは事実に基づいていないし支離滅裂です。しかしロックが大好きな若者がトランジスタラジオを買ったのと同じく、「今の米国を変えて欲しい」と考える人たちの心は掴んでいました。そして親の世代がトランジスタラジオが流行っているのを知らなかったように、ヒラリーを支持する人たちも今の政治への不満がこんなにも溜まっていたことに気がつかなかったのです。
その結果、こうなりました。赤がトランプ、青がヒラリー。州の各地区での支持率です。特に中部ではトランプ圧勝です。
米国人の識者たちは「自分の周りにはトランプに投票したいという人は一人もいない。何で選ばれたのかまったく不可解だ」と一様に口を揃えて言っています。米国外にいる私たちも、「誰がトランプに投票するんだ?」と思っていました。加えて直前の世論調査ではヒラリー優勢でした。
しかし、内心トランプを支持する有権者に、世論調査で「トランプを支持するか?」と聞いても、リベラリストからは責められてしまう状況もあり、その場では「支持しない」と答えながら、実際にはトランプに投票した人が多かったようです。
同じことは、企業に対しても起こりえます。「絶好調、大丈夫」と思っていても、「こんなのまがいもの。オモチャ」と思っていたライバルが、知らない間に新しい顧客を獲得している。そういうことが静かに起こっているかもしれないのです。
常に顧客は変わり続けていると考えて、顧客も気がつかないような、隠れた顧客の課題を見つけ出す。そして解決策を作る。その上で、実際の商品を見せて、本当にお金を出して買うかどうかを見るしかないのです。仮説検証の繰り返しです。
さて、トランプ次期大統領の課題は、憎悪を煽って当選したことでしょう。これによる今後の影響は計り知れません。
望むらくは、音質が悪かったトランジスタラジオが急速に性能向上して真空管ラジオの性能を追い越したように、トランプも急速に進化して、既存の政治家よりも高い能力を獲得することを願いたいところです。
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