幸せになるのは、権利? 義務?


人間として生まれてきた以上、やはり幸せに生きていきたいですね。

でも、幸せに生きることは、なかなか難しいと思います。(「そもそも、幸せって何?」という議論もありますが、ここでは「幸せとは、各自が大切に思う幸せ」と定義するにとどめておきます)

幸せは、待っていてもなかなか得ることが出来ません。

幸せというのは、色々な試練を経て、勝ち取るものなのではないでしょうか?

また、そうやって勝ち取った幸せも、それを維持させるのはさらに難しいと思います。

「人間は幸せになる権利を持っている」と言われますが、このように考えると、どうもそれだけではなさそうです。

たった一度きりの、宇宙の時間から見れば瞬きにもならないような、とても短い人生です。

「自分が幸せになるのは、義務である」と考え、その幸せを獲得するように自分に正直に生きることが、より充実した人生を過ごすことに繋がるように思いますが、いかがでしょうか?

幸せになるのは、権利? 義務?」への3件のフィードバック

  1. >「幸せとは、各自が大切に思う幸せ」
    アリストテレスの言った、「定義はその言葉を遣わずに内容を説明すること」と云う大原則から外れています。
    定義として成り立っていないと思うのですが。

  2. アムロさん、
    アリストテレスのその言葉、知りませんでした。今後ブログを書く上でとても参考になります。コメントありがとうございました。
    ところで、定義とは異なりますが、世の中にはGNU(=GNU's Not Unix)のような再帰的な名前もあったりして、これはこれで結構面白かったりしますネ。

  3. GNUについて調べると、再帰的頭字語、RAS症候群などに行き当たり中々に興味深かったです。
    ただ技術者間の言葉遊びを、無制限に広げてしまうと混乱を来すのではないかという気も少ししました。

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