「人間としての成長」とは、「心の世界」が見えるようになること


昨日、紀伊國屋サザンシアターで行われた「田坂広志 出版記念 特別講演会」に参加しました。

田坂広志さんの新著『なぜ、我々はマネジメントの道を歩むのか』の出版を記念して、開催されたものです。

90分間の講演は非常に中身が濃く、言葉の一つ一つが心にズシン・ズシンと響きました。

その中の一つが、人間としての成長に関するものでした。著書から引用します。

—(以下、引用)—

….「人間としての成長」の定義は、一つ。

「心の世界」が見えるようになる。

….

では、「心の世界が見える」とは、いかなる意味か?

「人の心が分かる」

端的に言えば、その力量です。
それを、日常的に使われる言葉で表せば、次の「三つの力量」です。

「相手の気持ちが分かる」
「場の空気が読める」
「自分が見えている」

そして、この定義に従えば、「未熟」という言葉の定義も、明確です。

「人の心が分からない」

「相手の気持ちが分からない」
「場の空気が読めない」
「自分が見えていない」

—(以上、引用)—

私は、相手の心が本当に分かっているのか?
分かった積もりになっているだけで、実は全く分かっていなかったのではないか?

私は、チーム全体の心が本当に読めているのか?
これがなかなか分からない。

いやそもそも、(そしてこれが一番難しいのですが) 私は、自分の心が本当に見えているのか?
自分の心の奥底に隠れているエゴがちゃんと見えているのか?
「相手のため」という言い訳で、実は自分が気が付かない隠れたエゴを満足させる行動をしていないか?

色々と考えさせられました。

私の場合、幸いながら、人間としての成長の余地はまだまだ非常に大きく残されているようです。