昨晩、多摩大学大学院・同窓会役員会の忘年会がありました。
表題は、この時に、参加された歌川令三先生も入り、みなで議論した際の命題です。
考えてみると、面白いテーマです。
言うまでもなくイエス・キリストは、とても強いメッセージ力を持っていた訳ですが、当時はマスメディアもインターネットもありませんでした。
イエス・キリストの教えは、イエス自身の言葉で伝えるか、弟子や知合いの口伝か、聖書の形で伝える手段しかありませんでした。
実際には、後者が圧倒的に多かったのでしょう。そして、後生になって彼の言葉は別の形で解釈され、十字軍のように異教徒からエルサレムを奪回するために連合軍を構成するようなことも行います。
もしイエスがブログを書いていて、その言葉が直接に十字軍の兵士等に届くようになっていたら….。
私はキリスト教徒でもありませんし、宗教的には特に明確な立場を持っていません。
しかし利他主義のイエスは恐らく、武力に訴える行動を制止するメッセージを出したのではないでしょうか? (ずっと生きていたら、という非現実的な仮定ですが)
そして歴史は変わったかもしれません。
ターミネータ-4でも、抵抗軍の若手リーダーであるジョン・コナーが、司令部の誤った指令によって動こうとする兵士達に対して、ラジオで「私はジョン・コナーだ。今は動かないで欲しい」と語りかける場面が出てきます。
そして、実際には抵抗軍は動かず、これがスカイネットに対して(部分的にですが)勝利するきっかけになりました。
メッセージを直接多くの人達に届けられる、ということは素晴らしいことなのですね。
このようなパーソナルメディアを私達が誰でも使える時代になりました。
世の中をよくしたいと思う人は、是非活用していくべきでしょうね。
「聖☆おにいさん」という漫画の中では、イエスがブログを書いて人気者になっています。
でもそれでカリズマティックになれたかとゆーと、ダメな気がします。
伝わらないからこそ、聞いた人の想像力で補われて、その地位に本人の意図とは別に載せられてしまった、とゆーコトではないかと。
あびるさん、
私も愛読しています。
ヨシムラさん、
なるほど。