大木さんが「自粛を自粛する」というエントリーを書かれています。
全く同感です。
日経ビジネスオンラインの「広がる過剰自粛に悲鳴」という記事でも、あのきらびやかな大阪・道頓堀のネオンが消えて、とても寂しくなっている写真を掲載しています。
首都圏に住む人間から見ると、この寂しげな道頓堀の様子を写した写真は、とても奇異に見えます。
もちろん必要な節電はするべきでしょう。しかし本来、関西地区の電力は問題ないはず。こういう時こそ、発電所停止の影響がない地域は、活発な経済活動によって、日本を支えて欲しいものです。
ITmediaに、ニューヨークタイムズを引用した記事「日本は自粛という強迫観念にとらわれている」が掲載されています。
—(以下、引用)—
また「東京都民にとっての自粛は被災地の人々との連帯を示し、自粛をする側を何か良いことをしているという気分にさせる安易な方法だ。しかし、当人たちは実際にどんな効果をもたらすかはあまり考えていないようだ」とも論評した。
—(以上、引用)—
記事では「当人たちは実際にどんな効果をもたらすかはあまり考えていないようだ」と書いています。
なぜ、自粛がいけないのでしょうか?
例えば、自分がコンビニの店員だと仮定します。
現時点で、コンビニはそれほど自粛の影響を受けていないかもしれません。
ここで仮に、コンビニ店員である自分が、「ボクも被災地に配慮して、自粛しよう」と、いつもの外食等を止めたと仮定します。そして、多くの人達が「ボクも自粛だ」と同じ行動を取ると、…
■外食業界全体の売上が減る。実際、客の入りが8-9割減ったという店もあります。
→レストランは、当面、様々なコスト節減策で何とかしのごうとする
→しかし、自粛ムードが長期化すると、コスト削減も限界に
→やがてレストランで人員整理(=首切り)が始まる
→人員整理された人達は職を失い、収入が途絶える
→お金を使えず、コンビニでの買い物が出来なくなったり、購入額が減る
→すると、今度は、徐々にコンビニの売上も減っていく(この段階は自粛ではなく、本当の経済の収縮が始まる)
→コンビニも、当面は様々なコスト削減で凌ごうとするが、やがて限界に
→売上減少がある限界を超えると、コンビニでも人員整理(=首切り)が始まる
→そしてコンビニの店員である自分も、やがて「申し訳ないけど、来週からは来なくてもいい」と言われ、職を失う。(本格的な経済の収縮に突入)
非常に単純化して、コンビニと外食産業だけを取り上げました。経済は様々な活動が関係しあっているので、同じようなことが多くの業界で起こりますので、他人事ではありません。
「被災地の人と連帯したい」と思って安易な自粛に走り、多くの人が追従する結果、経済を停滞させ、巡り巡って自分自身も失業する可能性すらあるのです。
このように、本来は自粛する必要がないのに自粛する先に、何が待っているかというと、
経済停滞→企業収益悪化→企業倒産や労働者失業
です。
新しい日本を創ろうとしているこの矢先に、このような悪魔のサイクルに入ると、抜け出すのは容易ではありません。
大木さんがおっしゃるように、過度な自粛こそ、本当に自粛すべきだと思います。
贅沢をする必要はありませんが、迷惑をかけない範囲で、いつも通りの暮らしをしたいものです。
TBありがとうございます。
仰有るとおり、風が吹けば桶屋が儲かる、の真逆をいく行為だと思います。自粛で、何かいいことでもしている気分になってはいけないですね。
大木さん、
ありがとうございます。
「風が吹けば桶屋の真逆」、まさにその通りですね。
こういう仕組みになっていることを、マスコミなどはもっと世の中に知らせていくことが必要と思います。
9.11の米国の場合、「テロに米国経済が屈してはいけない」と最初の数ヶ月はとにかく経済活動を続けていました。(テロ組織がテロを起こす前に経済低迷を見越して株式を先売りしていたことを発覚していたことも、要因だったようです)
自粛といえば聞こえはいいが、将来のこと考えたら、被災地のためにはなにもなってない。
外電の「自粛してる本人が自粛が何の役に立ってるか割ってないようだ」が一番的確にポイントついてると思う。
THさん、
コメントありがとうございました。
またご返事が大変遅くなりました。
「被災地に配慮したつもり」なのに、実は何もしていないということが、大きな問題ですね。